出産した直後、しばらく、お腹から出てきた我が子を2時間ほど抱き続け、
その後、そのままベットで病室へと運ばれました。
まだ、へその緒を切った直後の我が子を胸の中で抱く。。。というのは、病院の方針で、
「母子が一緒にいる」事を重要視した「カンガルーケア」が取り入れられていました。
なので、いくら私が出産で疲れきっていても、
助産士さんが「はい!」と赤ん坊を私の胸に置いていきました。
この「カンガルーケア」は、母と子がスキンシップをする事により、
赤ん坊の免疫力をつけて、なおかつ、精神的にも安定を図る…と、メリットが多く、
病院の概念上、ここで出産したすべて母親が2時間ほど、赤ん坊と一緒にいます。
ラ・シオタ病院のマタニティの世界は、私の印象では、「すごい…」の一言で、
ハッキリ言って、圧倒されました。
ラ・シオタ病院は、3年ほど前から大規模拡張工事を行っていて、
分娩室は、新しいピカピカの部屋でしたが、
運ばれた病室は、個室だったものの、まだ古い棟の部屋でした。
日本人がこの病院で出産したのは、私で何人目なのかな…?
なんと!2日後、
次々と私の部屋を訪れる助産士さんが「あなたの他に日本人が運ばれて出産したよ!」と
教えてくれて、偶然、病室が隣の隣の隣で、
こんなプロバンス地方の小さな港町のマタニティの病院で、自分が出産するのと
同じ時期に、他にも日本人の女性が出産して、お会いできるとは思ってもいませんでした。
夫と一緒に彼女の病室へ行き、いろいろ自己紹介や名刺交換をして、
「どうぞよろしくね」と挨拶。
彼女の旦那さんもフランス人で、彼女たちの生まれたお子さんも「女の子」でした。
さて、
生まれて一度も「入院」をした事がなかった病院での生活。
まさか、自分に「出産」する機会が訪れるとは思っていなかったので、
すべてが初めてでした。
一番、辛かった事。
それは、「母乳」が出なかった事。
出産して1日目。
疲れていようが眠たかろうが、容赦なく、生まれた我が子が泣くので、
助産士に教えられたように、
母乳を与える格好をするものの、肝心の「母乳」の量が、
スズメの涙より少なく、完全にノックアウトさせられました。
お腹が空いて、ワンワン泣く娘に母乳が与えられず、
崖っぷちに立たされた気分を味わいました。
2日目。
まだ、母乳を充分与える事ができず、夜中ずっと起きていて寝ていない私に、
次々とお祝いを持ってくる来客者の「母乳が出ないんだったら、哺乳瓶に変えたら?」という
無責任な一言で、気が滅入り、悲しくて、夫と仲良くしている友人家族に、泣きつきました。
夫は、「どうして、僕に黙って、勝手に病室を訪れるんだ?!」と怒り狂いました。
私は、「母乳が出ない」事で自分を否定された気分になり、涙がポロポロ出ました。
そんな中、実家の母に国際電話しました。
「母乳が出なくても、出るようになるから、心配しないで。がんばって!」と、
励ます母親の声を聴いて、いくら自分が母親になっても、実家の母が必要だと、実感しました。
娘に、自分のおっぱいをくわえさせ、夜中、フラフラしながら、ひたすら母乳を与え続けた結果、
やっと3日目から、母乳が泉のように湧き、我が子に「お乳」を与える事が出来ました。
母乳を飲み始めると、泣き止み、満腹になった赤ん坊は、ぐっすり眠り、
私も休む事が出来て、3日目からすごく気分が楽になり、入院生活も落ち着きました。
怒り狂った夫が、「来訪者立入厳禁」と皆に通達したので、
3日目からは、誰も病室を訪れる者がなくなり、
静かな時が過ごせるようになりました。
病院での生活では、「授乳」以外にも、「沐浴」の仕方も助産士に細かく教わり、
お家で自分だけで出来るようトレーニングを受けました。
小児科医や助産士と、こんなに触れ合うこともなく、「母親になる」って、
本当に大変だと、日々感じます。
マタニティの専門用語も、フランス語での説明で、チンプンカンプンでした。。。
でも、すべてが学べる、今まで味わった事のない世界―。
夫や素晴らしい病院スタッフに手伝ってもらいながら、無事、5日目退院しました。
病院の朝昼夕の食事が美味しくなかったので、夫が作って持って来てくれたお弁当を食べたり、
病室のベットやシャワーなどのサイズが大きくて、困った事等。。。いい思い出です。
出産を取り上げられなかった担当医も、何度か病室に来て、
「まさか!こんな事になるとは!」と。
「2人目は、必ず、私が…!!」と付け加えて言ってました。
ぐっすり寝ている…。いつもキティと一緒☆
むうぅ~!!お腹空いてきた!!! ママァ、おっぱい!
その後、そのままベットで病室へと運ばれました。
まだ、へその緒を切った直後の我が子を胸の中で抱く。。。というのは、病院の方針で、
「母子が一緒にいる」事を重要視した「カンガルーケア」が取り入れられていました。
なので、いくら私が出産で疲れきっていても、
助産士さんが「はい!」と赤ん坊を私の胸に置いていきました。
この「カンガルーケア」は、母と子がスキンシップをする事により、
赤ん坊の免疫力をつけて、なおかつ、精神的にも安定を図る…と、メリットが多く、
病院の概念上、ここで出産したすべて母親が2時間ほど、赤ん坊と一緒にいます。
ラ・シオタ病院のマタニティの世界は、私の印象では、「すごい…」の一言で、
ハッキリ言って、圧倒されました。
ラ・シオタ病院は、3年ほど前から大規模拡張工事を行っていて、
分娩室は、新しいピカピカの部屋でしたが、
運ばれた病室は、個室だったものの、まだ古い棟の部屋でした。
日本人がこの病院で出産したのは、私で何人目なのかな…?
なんと!2日後、
次々と私の部屋を訪れる助産士さんが「あなたの他に日本人が運ばれて出産したよ!」と
教えてくれて、偶然、病室が隣の隣の隣で、
こんなプロバンス地方の小さな港町のマタニティの病院で、自分が出産するのと
同じ時期に、他にも日本人の女性が出産して、お会いできるとは思ってもいませんでした。
夫と一緒に彼女の病室へ行き、いろいろ自己紹介や名刺交換をして、
「どうぞよろしくね」と挨拶。
彼女の旦那さんもフランス人で、彼女たちの生まれたお子さんも「女の子」でした。
さて、
生まれて一度も「入院」をした事がなかった病院での生活。
まさか、自分に「出産」する機会が訪れるとは思っていなかったので、
すべてが初めてでした。
一番、辛かった事。
それは、「母乳」が出なかった事。
出産して1日目。
疲れていようが眠たかろうが、容赦なく、生まれた我が子が泣くので、
助産士に教えられたように、
母乳を与える格好をするものの、肝心の「母乳」の量が、
スズメの涙より少なく、完全にノックアウトさせられました。
お腹が空いて、ワンワン泣く娘に母乳が与えられず、
崖っぷちに立たされた気分を味わいました。
2日目。
まだ、母乳を充分与える事ができず、夜中ずっと起きていて寝ていない私に、
次々とお祝いを持ってくる来客者の「母乳が出ないんだったら、哺乳瓶に変えたら?」という
無責任な一言で、気が滅入り、悲しくて、夫と仲良くしている友人家族に、泣きつきました。
夫は、「どうして、僕に黙って、勝手に病室を訪れるんだ?!」と怒り狂いました。
私は、「母乳が出ない」事で自分を否定された気分になり、涙がポロポロ出ました。
そんな中、実家の母に国際電話しました。
「母乳が出なくても、出るようになるから、心配しないで。がんばって!」と、
励ます母親の声を聴いて、いくら自分が母親になっても、実家の母が必要だと、実感しました。
娘に、自分のおっぱいをくわえさせ、夜中、フラフラしながら、ひたすら母乳を与え続けた結果、
やっと3日目から、母乳が泉のように湧き、我が子に「お乳」を与える事が出来ました。
母乳を飲み始めると、泣き止み、満腹になった赤ん坊は、ぐっすり眠り、
私も休む事が出来て、3日目からすごく気分が楽になり、入院生活も落ち着きました。
怒り狂った夫が、「来訪者立入厳禁」と皆に通達したので、
3日目からは、誰も病室を訪れる者がなくなり、
静かな時が過ごせるようになりました。
病院での生活では、「授乳」以外にも、「沐浴」の仕方も助産士に細かく教わり、
お家で自分だけで出来るようトレーニングを受けました。
小児科医や助産士と、こんなに触れ合うこともなく、「母親になる」って、
本当に大変だと、日々感じます。
マタニティの専門用語も、フランス語での説明で、チンプンカンプンでした。。。
でも、すべてが学べる、今まで味わった事のない世界―。
夫や素晴らしい病院スタッフに手伝ってもらいながら、無事、5日目退院しました。
病院の朝昼夕の食事が美味しくなかったので、夫が作って持って来てくれたお弁当を食べたり、
病室のベットやシャワーなどのサイズが大きくて、困った事等。。。いい思い出です。
出産を取り上げられなかった担当医も、何度か病室に来て、
「まさか!こんな事になるとは!」と。
「2人目は、必ず、私が…!!」と付け加えて言ってました。
ぐっすり寝ている…。いつもキティと一緒☆
むうぅ~!!お腹空いてきた!!! ママァ、おっぱい!
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