五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末記 2,000

2010-06-06 04:05:49 | 五高の歴史
七月二十五日 火 晴
七月も最後の週になった。夏だから暑いのは当たり前であるが、この頃のように日本各地、あっちで三十七度、こっちで三十八度という報道を聞けば、近年言われている地球温暖化の表れであろう。
先週は文学部U教授が明治時代の教科書の一覧表をと探していらしたがこちらも整理の過程では数回みたことはあるが、特に注意しているわけではないので次回に探しておきますと言うことで片付けておいた。
特に現在崇城大学の教授であるが、本学の元教授であった中島、今江、松本の三先生が東京五高会から記念館資料整理のために援助をしたいとの申し出があったそうでそのための現状把握と言うことで、十時前には在室調査していらした。

今朝は文学部U教授希望の教科書一覧を探すことから始める「明治三十一年十月各高等学校教科用書」綴、教務課「大正十一年各学科主任協議会録教授要目」綴、これらには教授要目、報告、特に数学と哲学の教授要目制度、教官会議の様子が詳細に報告してあり読み物としておもしろい。同じように大正十三年は西洋史、同十四年には東洋史、図画と教える方も難しかったのではないかと思われた。

熊本城奉行丸長塀長さは百三十三メーターある

特に俺の興味を引いたものに教務掛の「学科に関する大学および各高等中学校の書類」綴で明治十九年十二月末調、庁府県立学校表 文部省総務局発行で、五高においては明治二十年十月十日の文書番号二十九番で決済を取ってありその決済印は五高創建当時の職員、学校長野村、教務高須、利根川、福島、秋山、幹事大橋、書記永井の七名の印鑑を見いだすことが出来る。その意気込むが偲ばれる。この中に収録されている熊本県関係の学校ではまず熊本中学、場所は藪の内町、設立は明治十二年、つづいて師範学校と医学校が設立明治十一年で設立は、第五高中学校より十年ばかり早い.前記のU教授に電話するも研究史室には通じない。わかったら連絡してくれと自分で言っていたくせに勝手なものだ。

その他「青少年学徒に賜りたる勅語」が出て来た。これは昭和十七年から十八年にかけて阿蘇の道場で研修に参加した生徒が書いたもので阿蘇道場関係資料として収納し直しておいた。またまたビニール紐で括った「参考書類」というものが出て来た。これは熊大発足当時の法文学部の事務長であった中本滝雄さんの参考書綴で昭和二十三、二十四、二十五年分を綴ってあった。いわゆる雑件関係で氏は師範学校出身者であり、師範の事務から法文学部の事務長への昇格であった。この雑件綴りから大学発足時のどたばたが目に浮かぶ、すべての書類をファイルしてあるので発足時を知る上では面白い。Uさんの台帳には記載がないが、医大、五高、工専、師範の事務職員を新制大学のどの学部に貼り付けかと苦心の跡が見え面白い、

その他教員検定関係書類「教員検定願教員免許状下府」それに卒業生名簿等々、庶務課分に関しては表紙に表題をつけ冊子として整理してある。教務課分ではビニール紐で括ってある。
久しぶりに掃除機をかけたので帰りは四時もすぎていたが今日はそう暑くもなく見学者もなかったので作業ははかどったのであった。