五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末記  2000

2010-06-16 17:38:18 | 五高の歴史
十月十七日 火 晴
十月も中旬になりさすがに涼しく感じられるようになった。先週の通勤が五十分もかかったので、今朝は七時四十分に出発したが八時五分には着いてしまった。館長先生の車は既に駐車場にあったので朝から研究室を覗く。
管財の依頼は、文化庁の担当者が熊本県に来ているので熊大の文化財、建物、資料等も見たいと言っていると県の教育庁文化課から依頼があっているということ。熊大訪問時間は十時から一時間程度の予定だそうでよろしくということであった。
開室は八時四十分、掃除機の修理を管財に依頼していたがいつまでたっても埒があかないので自分で修理する。コンセントの具合が悪かったので今まで欺しだまし使ってきたが、コードを途中で切り新しく切った別のコンセントコードとを合体させて見たところ使える状態になったので電気容量はまあまあ同じようであるが漏電事故防止のためビニールテープをぐるぐる巻きにしておいた。テストを兼ねて室内に掃除機をかけた。キャビネットのハーン関係の資料を点検する。

熊本城本丸御殿から見える熊本中心街(花畑屋敷一帯)

十時になったので玄関に出てみる。背広の三名が館内の様子を伺っていたので館内に案内する。
文化庁長官官房総務課会計室用度係長林 保太、同管財係山崎 智紀、県の教育庁文化課指導主事富岡 茂則の各氏であった。館内に案内すると資料を見るより展示室の案内を頼まれ、第一展示室より一時間の予定でメインのところを説明してやった。自分でドアを開け点灯して説明するので時間がかかった。文化財関係の担当者であるからか歴史の文化財については興味・関心があるようだった。県の担当者が時間について気をもみ始めたとき最後の展示室の見学も終わり、休憩室の時計が軽やかな十一時の時報を打った。


文化庁が帰った後食事をし、あさの作業を続ける。資料館開設の時のキャプション、平成九年度の開校百十年記念祭の時の寄贈物品もいっしょくたんに入れてあるので出来る限り分類する。
平成五年当時の開設時のキャプションは「開設に向けて」幻想社と表題をつけ表紙をつけた。
「武夫原頭に草萌えて」これは百十年記念祭の時東京五高会が二冊くれたもののようである。「書苑彷徨  杉村邦彦」これは著者が「長尾雨山とその交友」を勉強されているので寄贈されたものであるようだ。長尾雨山、長尾慎太郎、両者書家のようで明治三十年九月九日から同三十二年十二月三十一日まで五高で教鞭を執っている。