十一月二十八日 火 晴
朝は七時三十分に出発したが途中ラジオを聞くと清水の松崎交差点付近で車三台が関係する事故と放送している。遅くとも八時十分くらいには到着予定と考えて計画を練っていたが、どうしてどうして迎町からの渋滞で浄行寺を通過したのは八時二十五分、事故は仕方がないが運転者には迷惑なものだ。三十五分の到着で開室は九時となってしまった。
まずハーン展を行なった休憩室と第六展示室それに整理室の掃除機掛けを考えていたが、二階に上がって見ると廊下に眞黒の煤が落ちている。第三展示室、また第四展示室も同様の煤がひどい、整理室の資料を近頃整理していないので気にはなっているが、展示室の煤を見かねて久しぶりに展示室の掃除する事にした。六つの展示室、それに休憩室を開ける二階の事務室から掃除機を出したがここも埃がひどい。この間のハーン展の空箱はここに格納させていたが取り出した後は掃いてもいない好い気なもんだ。
九時二〇分から掃除機掛けを行なう。糞蝿の死骸の多さ、ゴキブリ、ムカデ、ヤモリの死骸等々、三と四の展示室それに付随している廊下、展示ケース等に掃除機を掛けたがこの部分だけで終わったのは十一時三十分を過ぎていた。
熊本城闇がり通路の天井の様子
弁当持参あるので昼食、崇城大学の今江先生にハーン展の終了と御礼を電話する、喜んでおられる様子電話して良かった。その後また階段及び五、六、それに整理室に掃除機をかける、第六と休憩室を終わったところで、作業員が玄関先の煙草の吸い殻を掃く音がするので室内に入れ手伝わせる。
総務課の若い事務員がお客さんの案内だそうでカギを借りに来た。一時半頃の予定だそうでだ案内者は事務局長と総務部長だそうだ。お客は文教協会の役員のようである。また丁度その頃入試課長といってお客を案内していた。
二時頃西川教授が例の画台を教育学部図工科に返さなければならないからといってきたので持たせて帰した。それで有名教授の展示室から寺田寅彦の資料を卒業生の展示室に移し、二階の事務室から記念館所有の画台を探しだして、ハーンに関係したものは、シンシナチィコマーシャル紙を覗き殆ど外国人教師コーナーに収容する事が出来た。
コマーシャル紙についてはあの侭、展示しておくわけにも行かないので図書館の古文書倉庫に収納して貰うよう図書館に頼む。このことについては西川教授も心配していた。
帰りに受け入れ等のことについて管財掛長に聞いてみたが学長が熊本大学へ寄贈として貰った後は何の事務処理も出来ておらず品物はそのまま直接西川先生のところに行ったようだ。何しろ一八七五年の新聞だから保存も大変だ。西川教授は館長に相談とか何とかおっしゃるがさっさと処理していかねばどうにもならないではないか.来週には結論を出してやるか。
管財でパソコンで遊んだところすぐに三十分もかかってしまった。各人一台づつお持ちであるが取り扱いに詳しい人は案外少ないのではなかろうか・・・・・。
朝は七時三十分に出発したが途中ラジオを聞くと清水の松崎交差点付近で車三台が関係する事故と放送している。遅くとも八時十分くらいには到着予定と考えて計画を練っていたが、どうしてどうして迎町からの渋滞で浄行寺を通過したのは八時二十五分、事故は仕方がないが運転者には迷惑なものだ。三十五分の到着で開室は九時となってしまった。
まずハーン展を行なった休憩室と第六展示室それに整理室の掃除機掛けを考えていたが、二階に上がって見ると廊下に眞黒の煤が落ちている。第三展示室、また第四展示室も同様の煤がひどい、整理室の資料を近頃整理していないので気にはなっているが、展示室の煤を見かねて久しぶりに展示室の掃除する事にした。六つの展示室、それに休憩室を開ける二階の事務室から掃除機を出したがここも埃がひどい。この間のハーン展の空箱はここに格納させていたが取り出した後は掃いてもいない好い気なもんだ。
九時二〇分から掃除機掛けを行なう。糞蝿の死骸の多さ、ゴキブリ、ムカデ、ヤモリの死骸等々、三と四の展示室それに付随している廊下、展示ケース等に掃除機を掛けたがこの部分だけで終わったのは十一時三十分を過ぎていた。
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弁当持参あるので昼食、崇城大学の今江先生にハーン展の終了と御礼を電話する、喜んでおられる様子電話して良かった。その後また階段及び五、六、それに整理室に掃除機をかける、第六と休憩室を終わったところで、作業員が玄関先の煙草の吸い殻を掃く音がするので室内に入れ手伝わせる。
総務課の若い事務員がお客さんの案内だそうでカギを借りに来た。一時半頃の予定だそうでだ案内者は事務局長と総務部長だそうだ。お客は文教協会の役員のようである。また丁度その頃入試課長といってお客を案内していた。
二時頃西川教授が例の画台を教育学部図工科に返さなければならないからといってきたので持たせて帰した。それで有名教授の展示室から寺田寅彦の資料を卒業生の展示室に移し、二階の事務室から記念館所有の画台を探しだして、ハーンに関係したものは、シンシナチィコマーシャル紙を覗き殆ど外国人教師コーナーに収容する事が出来た。
コマーシャル紙についてはあの侭、展示しておくわけにも行かないので図書館の古文書倉庫に収納して貰うよう図書館に頼む。このことについては西川教授も心配していた。
帰りに受け入れ等のことについて管財掛長に聞いてみたが学長が熊本大学へ寄贈として貰った後は何の事務処理も出来ておらず品物はそのまま直接西川先生のところに行ったようだ。何しろ一八七五年の新聞だから保存も大変だ。西川教授は館長に相談とか何とかおっしゃるがさっさと処理していかねばどうにもならないではないか.来週には結論を出してやるか。
管財でパソコンで遊んだところすぐに三十分もかかってしまった。各人一台づつお持ちであるが取り扱いに詳しい人は案外少ないのではなかろうか・・・・・。