五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末記 2000

2010-06-13 06:35:58 | 五高の歴史
九月二十六日  火 晴
九月も下旬になり朝は少し涼しくなった。七時四十分に出発し三十分では着いた。大教センターの建物改修工事もほぼ終わり現在はは文・法学部の建物の改修のようである。この改修工事は地震対策で建物の強度を高めるためとか、今まで記念館を占拠していた文学部の考古学教室、それに地理教室も記念館から撤退するそうである。近頃は品物を運びだすのか喧しい。特に北側の出入り口には埃が散って迷惑である。

開室は八時四十分に行った。管財で先に野田幸助さんの著書を休憩室の陳列台に入れておきたいと希望があったが卒業生の著書は第四展示室にあるの、で野田幸助氏寄贈という名詞と一緒にケースに入れておいた。仲介していた図書館の北野さんにも連絡し展示の様子を見て貰った。
休憩室の時計が止まっているのを直したりしたので十時までかかった。

復原教室

崇城大学の今村先生が先日のブラウン先生の調査でまだカメラ撮影していない分があったと十一時過ぎまで助手にデジカメで不足分の資料を写していらした。
昼食後一階二階の廊下にあまりにも埃があったので掃除機をかけることにしたが、昨日も熊本地区には震度三の地震があり、そのため廊下の天井から落ちて特に埃が多いようだった。清掃を管財に頼んでも何時出来るかわからないので、自分でぼつぼつやった方が確実であると思い、二階廊下、西側階段、一階廊下、整理室と久しぶりに掃除機で吸わせたので大分綺麗になった。月に一回程度は掃除も必要であると思った。防火バケツの水も殆どなくなっていたので西側六個を中心に補給しておいた。以上の作業で一時間半以上かかった。

整理を行っているキャビネットにはまだまだ中身が入っている。十年前になるか学報の記念館資料の解説が出て来た。一応表紙をつけたが、あちこちに収納してあるのでわかりゃしない。その他、市史研究やら方位第二〇号等寄贈図書が十九冊もあった。一覧表は明日にでも作るか、

久しぶりに館長のところに顔を出し五高開校百周年記念祭の時配布された漱石の「祝辞」のコピーの束が出て来たことを報告した。それから十一月の第二回記念館公開講座で化学実験室を講演会場として使用するが、床は安全だろうかとの質問があり一般公開始めたとき記念講演として卒業生でもある評論家内田健三さんの後援会の時に施設部に床の安全を確かめて貰ったことを言っておいた。

五高同窓会が十月十日に鶴屋で同窓会を実施されるそうで今江先生が赤・白の提灯各二個づつ持って行かれた。今日のような状態では資料の整理はまともには出来ない。来週は予定がなさそうであるので頑張ってするか・・。