五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の歴史整理顛末記 2000

2010-06-25 03:30:17 | 五高の歴史


十一月二十二日 水 晴
 昨日の今日で展示を目的に行く、朝は七時四十分の出、何時もの時間帯である。八時四十分開室しすぐ第一と第二のハーン展の後を埋める資料を考え、独断と偏見で展示を行なう。第二の方は第六展示室でありその標題は「寮生活と遊び」であるので今まで寮に関する資料が展示されていたものをそれらを中心にして,少々整理室の手持ちの資料等を補強した事により展示室としての体裁がグット整えられたように感じた。

十一時から十二時までの予定で鹿児島の串来野高校の職員等々が例の学校訪問で見学に来ると入試掛がバタバタしていた。学校訪問では必ず五高記念館見学が取り入れてあるようだがそれなら掃除ももっと必要であると思うのだが・・・。十一時過ぎ頃には館長も水俣からのお客さんと言って四人を案内していた。

展示については第一の方は日頃は休憩室であるので資料としては五高のグッズ等と漱石全集二十八巻など、場所取りのため著書などを並べているところであるので、新しい展示ケースを四台入れる事になった。休憩室の案内の案内は標題が「休憩室及び熊本大学発足時の資料」となっているので、なるべく案内の紹介と展示内容が合致するようにと、熊大発足当時の資料を調べて見たがどうも自分自身の考えと合致するものがなかった。そこで思い切って昨年度の教養部改組の時、今江先生が五高時代の標本を貰ったと言って持って来たものの中から、今で言う所の怪獣(恐竜)の標本等を飾る事にした。ここは休憩室であるので見学者はただ頭を使わずに楽しく眺められる物がいいと思ったからである。

記念館の東側出入り口石段の減り具合から経過が忍ばれる


記念タオル等を適当に配置してみたがどうもしっくり来ないので詳細な展示は午後行なう事にして昼食にした。昼食後一応のレイアウトは出来た積りであったが、本(著書)の飾りが中心になってしまったので図書館の友人にに見てもらって修正をお願いしたところ修正展示を引き受けてくれた。漱石全集の並べ方などさすが司書の専門家であると思わせるところがあった。彼は五高のマークの入った記念タオルを適当に配置しそれに恐竜、天然産鉱物標本,金属標本六十種等々を仲間に入れることによって十分に休憩室展示と言う事が言えるようになったと思った。

人に見せる展示を行なうということはとても難しい事が身にしみて判った。ただ書類を整理する収納倉庫箱のようには行かないし展示物だけが多いのもまた面白くない、見学者がいかにすれば心を引くようなもので見学できるかを考えて陳列せねばならない。
三時も過ぎたところでどうやら展示が終わったので館長に連絡したが留守であったので家にでも連絡してみるか。 飾り付けの時が都合三・五日掛かったがケースは元の位置の返さず、そのまま使用したので後方付け展示は丸々二日で終了する事が出来た。嗚呼しんど・・