十月十日 火 晴
朝は七時三十五分に出発したが渋滞に巻き込まれ大学に到着したのは八時二十分、四十五分も掛かっている。行くなり管財に行けるのでこの方が好いかもしれないが・・・・・・、今朝はすぐ散髪に行ったので開室は九時五分、資料台帳の生徒関係の書類、帳簿、台帳と合点していない物を合わせるがなかなか合わない、
生徒異動簿、生徒休退簿、内容は同じもののようではあるが、冊数とか、年度とかとかく合わない、表題もどうも完全とは言い難いようで、あれやこれやで内容を調査する
「生徒異動簿」明治三十九年四月―四十年九月を見る。退学二十三名、休学三十四名、除籍四名と名前、理由を記載してある、退学休学の原因としては肺炎、肋膜炎、神経衰弱、脳神経衰弱等が、主な者のようでこの時代は結核と神経衰弱が大半を占めていたようで、除籍は現代と同じ授業料、寄宿料の未納である、寄宿料の未納でも除籍とは・・・。また他の年度の冊子から明治三十二年退学八、休学十四,三十五年退学四十、休学十四、三十六年除名十二、休学十四 これから行くと毎年六十名前後の生徒に退学休学があっていたようで全体の生徒数から言えば約二割が止めたり休学したりしていたのか、
肥後菊、肥後椿、肥後朝顔、肥後山茶花、肥後花菖蒲、肥後芍薬の肥後六花
つづいてビニール紐で括ってある「学年筋情報告大正六年~昭和十六年」という分厚い冊子が出て来た。これはいつの時代か十五年分を纏めて綴じたようであり、綴じ紐が切れバラバラになっているので括ってある。これを昔の閉じ穴を利用して綴じ終わったのは十一時三十分を過ぎていた。外部から今日来るからと電話があったいたので弁当を食べ一寸と気にかけながら「生徒行状点記入明治二二・九~二四・五」「証明書類大正五」どうもこれは数量二と記入してあるが一しかないようだ。これらを確認し、どうも数量は合わないので整理だけするようにし、この棚整理済みを立てる。
「試験問題」の(明治四一・十二~四一・六、)(大正二・六第三学期、)(明治四二第一学期追試験問題)、(大正四・三第二学期)、この当たりは台帳には記載がないようだ。記載の予定ではあったようだが、記載を忘れてしまわれたのかもしれない。、
文学部のK教授が声をかけ先日の台帳フロッピーを返しに来た。パソコンでは見えなかったそうで、見えるように変革しなければならないと言ったでしょうと話した事だった。
試験問題の内容は英語・独逸語・国語等々でこれらはゆっくり目を通す必要もある。
続いて大きな黒表紙が出てきたので開けてみると同窓会名簿、昭和二十四年三月「学制改革による新制大学に切替えのため一学年で修了した者」という表題で、昭和四十一年十月十五日の同窓会のため作成された物のようである。名簿だけで住所、現況等調べる予定になっていたのか空欄が目だった。先日の開校以来の入学者名簿といい、この学科試験問題と同窓会名簿とを一緒に入れてあったりで、後年の整理では惰性が強くなりキャビネの開き部分に格納されていたようだ。今日はわりと整理が出来た気がしたが、気が付くと四時も五分を過ぎていたのでカギを返しに行った。
朝は七時三十五分に出発したが渋滞に巻き込まれ大学に到着したのは八時二十分、四十五分も掛かっている。行くなり管財に行けるのでこの方が好いかもしれないが・・・・・・、今朝はすぐ散髪に行ったので開室は九時五分、資料台帳の生徒関係の書類、帳簿、台帳と合点していない物を合わせるがなかなか合わない、
生徒異動簿、生徒休退簿、内容は同じもののようではあるが、冊数とか、年度とかとかく合わない、表題もどうも完全とは言い難いようで、あれやこれやで内容を調査する
「生徒異動簿」明治三十九年四月―四十年九月を見る。退学二十三名、休学三十四名、除籍四名と名前、理由を記載してある、退学休学の原因としては肺炎、肋膜炎、神経衰弱、脳神経衰弱等が、主な者のようでこの時代は結核と神経衰弱が大半を占めていたようで、除籍は現代と同じ授業料、寄宿料の未納である、寄宿料の未納でも除籍とは・・・。また他の年度の冊子から明治三十二年退学八、休学十四,三十五年退学四十、休学十四、三十六年除名十二、休学十四 これから行くと毎年六十名前後の生徒に退学休学があっていたようで全体の生徒数から言えば約二割が止めたり休学したりしていたのか、
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つづいてビニール紐で括ってある「学年筋情報告大正六年~昭和十六年」という分厚い冊子が出て来た。これはいつの時代か十五年分を纏めて綴じたようであり、綴じ紐が切れバラバラになっているので括ってある。これを昔の閉じ穴を利用して綴じ終わったのは十一時三十分を過ぎていた。外部から今日来るからと電話があったいたので弁当を食べ一寸と気にかけながら「生徒行状点記入明治二二・九~二四・五」「証明書類大正五」どうもこれは数量二と記入してあるが一しかないようだ。これらを確認し、どうも数量は合わないので整理だけするようにし、この棚整理済みを立てる。
「試験問題」の(明治四一・十二~四一・六、)(大正二・六第三学期、)(明治四二第一学期追試験問題)、(大正四・三第二学期)、この当たりは台帳には記載がないようだ。記載の予定ではあったようだが、記載を忘れてしまわれたのかもしれない。、
文学部のK教授が声をかけ先日の台帳フロッピーを返しに来た。パソコンでは見えなかったそうで、見えるように変革しなければならないと言ったでしょうと話した事だった。
試験問題の内容は英語・独逸語・国語等々でこれらはゆっくり目を通す必要もある。
続いて大きな黒表紙が出てきたので開けてみると同窓会名簿、昭和二十四年三月「学制改革による新制大学に切替えのため一学年で修了した者」という表題で、昭和四十一年十月十五日の同窓会のため作成された物のようである。名簿だけで住所、現況等調べる予定になっていたのか空欄が目だった。先日の開校以来の入学者名簿といい、この学科試験問題と同窓会名簿とを一緒に入れてあったりで、後年の整理では惰性が強くなりキャビネの開き部分に格納されていたようだ。今日はわりと整理が出来た気がしたが、気が付くと四時も五分を過ぎていたのでカギを返しに行った。