五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末記 2000

2010-06-08 03:11:32 | 五高の歴史
八月二十二日 火 晴
皆さん夏休みということで,五高記念館の資料整理も二週間の休みと相成ったので今日は久しぶりの出である。四日のようなことはあるまいと七時四十五分には出発した。三十分で到着したので駐車場に駐車するも車が少ない。各自夏休みを取っているのだろう。管財との打ち合わせが少々あったので開室は五十分、三週間ぶりであるためか室内がかびくさい。廊下の窓、整理室の窓を開放し扇風機を最大にして室内の空気を循環させる。
先日の七月二十五日の整理の棚からはじめる。堆土、仏教青年会記録、同会計簿、東光会誌等の冊子が出てくる。台帳と引き合わせてみると各部関係の中にあるようだ。その中で部報、優勝杯等は所在場所第四展示室と書いてあるが、ここでは展示室にありと言うくらいにしておく。先の中本氏の参考書類も台帳にはただ参考書類二二-二八と記載してあることがわかった。雑件であるので整理の仕方も一寸考えてもらえたなあと感じる。
この中に昭和二十七年熊本大学が当番として第二回文部省九州地区体育大会が開かれている。野球、排球、庭球、卓球が実施されている。

その他教員検定関係の綴りが大正十二・四~大正十四・四、大正十四・一~十二、十五・一~昭和二、昭和三・五~十・十一十一・四~十八・七、二十一・六~二十五・三の七冊子があったが、昭和二一年分は昭和十二年としてあり、やはり確認しないということも思い知らされた。

教員検定願い受付簿から柳本武氏(元本学学長)があった。英語も数学も無試験で教員資格をもらっていらっしゃる。昭和二~三年頃は無試験で教員資格がもらえるかという問い合わせが多く職員は困っている様子も伺える。たとえば基準は英語では在学中の成績が甲八十点以上が無試験の条件である。

化学実験室

第十三臨時教員養成所は五高には大正十五年に創設されているが英語はなく数学のみであった。この臨時教員養成所についてはまた調査してみたい。
卒業生の文集であろうか「渤海国と東京城」があり日本が満州国の成立に邁進していた頃の文集で、筆者は誰かわからなかった。表紙をつけて卒業生文集の中に入れておいた。
U先生が三時過ぎやってきて五高教授のドイツ語教授法を調べていらした。また野田貞子さんとかが旦那さんの著書を寄贈したいとのことで図書館を通じて連絡があったので著書二冊を預かり処理を管財掛長に依頼してきた。