

本校事務章程儀別添之通相心得可此段相伺候条至急御裁令有之度候明治二十年六月九日 第五高等中学校長 野村彦四郎 印
文部大臣 子爵 森有禮 殿
当分之内申出之通 明治二十年六月十五日 文部大臣之印
この伺いは五高創建時、学校の事務規定を別添えのように作ったので決済をよろしくと文部大臣に送っている伺い文書である。
返事については本省は絶対権力を持っていたもので当分之内申出之通と大臣の公印があるだけである。
この文書は六月九日付けで発送し六月十五日付けで送り返されている、現在であればメール、ファックス等々で通信事務も即出来るが明治二十年に一週間で返って来ているところを見れば
この辺にも明治政府が高等中学校を早く整備したいという願望が見えるのではなかろうか