五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

明治27年制定傭人服務概則からその二

2011-06-24 04:08:48 | 五高の歴史
昨日の続きで明治の行(二)の職員に就いて検討している。所謂行(二)職員は庁舎の維持管理を行うために在職し、その仕事に従事していた人たちのことである。


この制度は俺が退職する平成10年頃まで存続していた.国家公務員の定員削減で平成になると職員の不補充といって行(二)職員は採用されなくなり減員されていったのである。

最後まで行(二)職員は差別されていたと言うべきではなかろうか、警務員、作業員、として数から言えば行(一)職員と変わらないように多くの人が庁舎管理に従事していた。



ここでは資料としての価値を記載してみたい。門衛は日記をつけることが明記されているがこれを紐解くことによって、明治22年熊本地区には震度5,5であったと言われる大地震が起きている。

創建当時に起きた熊本の大地震にも、この本館には些かの被害もなかった。そのため修学旅行等の観光コースにも入っていたという


創建されたばかりの五高の建物にはいささかのひびも入らなかったそうでそのため五高は修学旅行の見学地になったとか、このことは門衛日記の中に見いだすことが出来る。