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五高記念館を眺める
五高の歴史を眺めてきたが明治20年の創建から先に紹介した小使い勤務心得や門衛勤務心得が作成されて、所謂行政職(二)の身分地位によって差別が行われていた。五高に於いてはさらに高等学校令の発令とともに傭人服務概則が制定されているので今朝はその概則を転載してみた。41条まであるので今日は最初の十条までを検討することにした
傭人服務概則 明治27年9月22日制定
第一条 毎朝出勤したる時に会計係に備え付けたる出勤簿に捺印すること。
但し遅刻の節には其の事由を申し出るべし
第二条 病気その他の事故ありて出勤時限までに出勤でき難き時には出勤時限までに会計係宛に届けを差出すべし
但し欠勤二日以上に至る時は届書に其の病気名又は事故を記載し十五日以上にいたる時には医師の診断書を添付し出勤する時に出勤届を差出すべし
第三条 出勤中(校外使え共)制服を着用すべし
但し六月一日より夏服十月一日より冬服
第四条 校内に於いて遺失物を見当りたるときは現品を持乗し其の見当りたる場所、時刻等明細に庶務掛に申出るべし
但し学寮内の分は学寮掛に申出るべし
第五条 各掛退散後に於いて生じたる事件は総て事務当直に申出るべし
第六条 近火その他非常等の節は非番の者たるも速に出動すべし
第七条 職員等に対し敬意を表し粗忽行あるべからず
第八条 職務上に付、気付の虚あるかまた請願ある時は会計掛に申出るべし
校丁
第九条 校丁は門番及び巡視に従事すべし
第十条 当直は午前七時より午後八時まで二人とし午後八時より翌日午前七時まで一人とす
但し宿直の者は翌日交代の上休息する事を得
差別が見えるものは第三条と第七条であろうか、第三条の出勤時から制服着用を規定してあることは私服の所持は必要でなく今で言うクールビルも考えなくてよかった。制服は学校からの支給であるし服を買いに行くということも必要でなかった。このあたりが後の小学校・中学校等の制服着用の原点であろう。
また第七条について見れば職員という身分は偉かったのか、挨拶は人間の常識である特に敬意を表す必要があったのか?その辺の名残かもしれないが、現代でさえ職場で管理職でも努めてきたような人と同道でもすれば一段々に俺は偉かったのだと言うことが見え見えになってくることもしばしばあることは日本人の性ではなかろうか、学校等の明治時代の職員は事務官になれば現在の事務のトップ相当の身分の人であった。