五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

正門と緑のサインカーブについて

2011-06-09 03:51:39 | 五高の歴史





2011年6月7日のサインカーブと赤門


7日には10時から五高記念館に出た上記の写真はその時緑の赤門とサインカーブをと思い写したものである。そこでここでは改めて第五高等学校正門について確認することにした
通称「赤門」と呼ばれ親しまれている五高正門は、昭和44年設計図と共に国の重要文化財に指定されている。設計図と実物を照らし合わせて見ると幾つかの相違点があることに気が付く、
設計図には門扉があるようになっているが、創建当時の写真からして、門扉がある記載があるものはない。しかし現在も門扉を取り付けるための金具だけは残っており、どういう理由で門扉が存在しないのか明らかでない。また設計図ではくぐり戸が存在するようになっているがこれまたなく、創建当時に予算的に窮屈であり門扉やくぐり戸は作らなかったのである。

赤門を這入れば五高生にはお馴染みであったサインカーブになる。現在では写真のように綺麗な舗装道路になり両岸には植栽された樹木が繁茂している。熊本大学が創設されて60年丁度五高が存在した年月と同じになった。現在の熊大学生は五高生のように風流な者は居ないようであるというよりそれだけ世の中が世知辛く構内を見渡す時間もないようだ。


「五高習学寮史」(昭和13年発行)の中に「龍南七不思議」についての記述があり校門に門札がない事が挙げられている。創建当時の写真には「第五高等中学校」の門札が写っており,当初から門札がなかった訳ではない。何時の間にか門札は行方不明になりその言数回架け替えられたけれども、その度に持ち去られたとあり、ある時には中学校を女学校と書き換えたりする等の悪戯が絶えなかったそうでのでそのままにしていたようだ。明治20年代から30年代にかけては第五高等中学は九州の最高学府として、人は知らないものはなかった。そのため修学旅行のコースに入っていたくらいであるので、学校側、生徒たち共々表札等の看板を掲げる必要を感じなかったようである。(kaminokawa)