{前略}・・風俗、建物、人物等後世に多大なる貴重な資料を残しているこの五高記念館をはじめとしてこの地域一帯に存在する優れた地域資源、細川家の菩提寺泰勝寺跡、細川三代が眠る小峯墓地の遺跡、リデル・ライト記念館、桜山神社、五高記念館を中心とした歴史観光資源として、文化歴史発信地として何時までも後生に伝えて行きたい史跡である
場所
県道336号線の道路に面した道のところには、神社名を刻んだ碑、道路の取っつきから急斜面の参道、少しだけ登った頂上に鳥居。丘の頂にあるので広くはない。坂を登ると左右に長いスペース、社が建ててある。
左手の大きな石には、宮部鼎蔵の碑文。吉田松陰が訪れた人物で池田屋事件で新撰組に殺害されている。林桜園の門下の勤王党この社殿が向き合っている 西側には、太田黒伴雄、神風連の乱で、死亡もしくは自刃した名の墓。奥に林桜園、その左手に、宮部鼎蔵の墓。中程には暗殺者、川上彦齋の墓ある。ここには123柱の石塔と名前が並んでいる。この墓群には女性もいたことが判る。
林桜園の墓は本物ということであるが他のもの墓は供養のための仮墓で本物は各個人の家庭に埋葬されているとか、
資料館は入館料300円で敬神党に関する資料は多い。紙芝居的絵画で敬神党の有気比を授かった処から、鎮台打ち入り、一夜にして鎮台兵に鎮圧された、、種田政明司令官と東京から連れて来ていた芸者小勝ダンナハイケナイ、ワタシハテキズというのちの電報の文のモデルとなったと言われる電文のところの絵、割腹自殺をするものの絵等々その説明文は荒木精之氏が書かれ、絵は増田民雄書かれたもので「絵で見る神風連」ということで読んで行くと時間もかかるが結構面白い。此処は観光地というより勉強しにくるところと言った方が適当だろう。
神風連の乱
明治9年10月24日未明、高津運記率いる、第一小隊第一部(立島駿太、桜井直成、林田鉄男、森下照義ら)が、新屋敷の種田政明邸を襲撃した。
同第二部は石原運四郎が率いて、種田邸のすぐ近く、同じく新屋敷1丁目にあった参謀長陸軍砲兵中佐高嶋茂徳の邸を襲撃。
進路は、熊本城の藤崎台から、県庁があった古城町の城内を抜け、坪井川を渡り、花畑町、手取本町と、現在の市の中心部を進み、市中を流れる白川の右岸沿いに、明午橋を渡り、新屋敷の種田邸に到着。種田邸の前には掘り割りがあったのだろう。
種田少将は、桐野や篠原らと同じ仲間で、西郷下野にもかかわらず、東京に残った。熊本へは、柳橋の芸妓小勝を同伴、「ダンナハイケナイ ワタシハテキズ」との打電は、簡潔な電報文として有名、川上音二郎一座による芝居に。
藤崎八幡宮の旧社地、現藤崎台球場
敬神党、神風連乱の時代の、藤崎宮は、城内の藤崎台球場の地にあった。センター側に大きな楠。神社があったところだったとは!とにかく、翌明治10年の西南の役あたりで焼失したらしい。藤崎宮は、熊本城の東手にあるが、背後の東側には白川を控えている。規模からいっても、熊本第一の神社。東に桜山神社、北西に(旧)藤崎宮、西に、新開大神宮、林桜園ら神官たちが廻った神社である
東に桜山神社、北西に(旧)藤崎宮、西に、新開大神宮、林桜園ら神官たちが廻った神社だという。