先人に想う
当時はおいちゃんも小さかった
じじちゃんは働きすぎて猫背になった
腰が少し曲がりそれでも孫の自分と雪投げ(除雪のこと)をしていた。
やがてウヰスキーを飲む様になり離れていてよくわらないが、最後・杖をつき
亡くなった。
婆ちゃんは 最後は片手で持ち上がるほど体重が落ちて、孫のおいちゃんをリクエストし
最後、喋れないのに溢れる涙で逢えて「嬉しい」をボディトークし応えて
のち亡くなった。
親父は本をよく読みどうすれば健康で長生きできるか
たくさんの本があった
よく歩き最後ギリギリまで、杖は使わなかった。
しかし寄る年波には勝てず遂に杖を使う様になり→ソファーに常に横になり
→トイレへ行くのに手押し車を使い行って、それもきつくなると
→介護ヘルパーに来てもらい→男のヘルパーに風呂にも入れてもらい
→車椅子となり、もう一人では歩けなくなり
食事・トイレは必ず介助が必要となった→入れ歯が筋肉が痩せて合わなくなり
新調するも筋肉がキープできずエイリアンの様にアーンすると
パタッと上の前歯が落ちて来て食べられない
→そうすると流動食・エンショアーとなる
これがいけない
誤飲を起こし本来食道に入って行くはずの流動食が、肺に入ってしまうのだ
肺は空洞では無く魚のエラの様に毛細血管の様にとても細かくなっていて
ドロドロしたエンショアーを使うとベタベタした物が肺胞に留まり
呼吸困難となる。
呼吸が満足に出来ないことは非常に苦しいものだ
コロナもこうなるのだ、だから鼻から誤飲を起こさない様に流動食を入れる方法となる。
ここまで来るともう数週間持つかどうかだ、だから 自然死を待つのもいい方法だろう
最後は食が細くなりほぼ受け付けなくなる。
そうして各器官・心臓の活動エネルギーを最小限にして行くのだろう。
この頃になると願いは叶えてあげて、タバコを吸いたいのなら吸わせ、親族は
手を握りスキンシップを取るべきである。
人は永遠には生きられない
誰かのためにたち社会に貢献し、子供に多少なりとも財産を残し
葬儀代くらい残せれば良い、
・・・
親父を見て想うことは
とにかく人間
足である。
歩ければ大丈夫
だが、歩けなくなれば・トイレである。
人の見ているところで、出さなくてはならなくなる・と云うことだ
寝たままお便は出来ない、誰かがいないとダメなのだ
オシメをする様になると
オンとオフが狂い、ある意味いつでも出させる様になる
それは副交感神経が狂い出し認知症を呼び込むこととなる。
だから出来るだけ介護パンツに頼らず自分の意思でオンオフをコントロールし排泄
する様にしなければならない
そうなるには
足腰なのである。
500メートルでも構わない・・・・歩け
歩ければ人生
まだまだ延ばせる。
とにかく壮年までならジョギング
高齢者はウォーキング
これを続ける人に寝たきりはやって来ない