大分フォーク連合の器材を譲り受けて・・・
YAMAHAのミキサー。
YAMAHAのパワードスピーカー。
マイクスタンド・・・
マイクは多種多様・・・
僕の記憶が定かであれば・・・
一番感度の良かったのは、「エーストーン」のマイク・・・
単3電池を入れるやつである。
意外だったのは・・・
「AKG」のダイナミックマイクが1本あった。
スタンドの立て方から・・・
マイクのセッティング・・・
コードの巻き方・・・
修行のような指導を受けた。
確かに体育系のサークルであったのかもしれない。
霊山青年の家で、合宿もあった。
僕が会長を引き受けてから・・・
年4回のコンサートと年2回の発表会・・・
そして、会員によるソロコンサートの企画を引き受けた。
年4回のコンサートにはオーディションがある。
そのオーディションを公開発表会にしたこともある。
ライブハウスも少なかった頃である。
大学でのサークル活動(サウンドファミリー)もあったが・・・
2ヶ月で脱退した。
大学のある「敷戸」って言う町のアパートは避け・・・
大分市中心部に近い「上野六坊」にアパートを借りた。
夜な夜な・・・ミュージシャンが集まった。
毎日が、宴会(食べるものも飲むものも知れているが)・・・
音楽談義を展開した・・・20歳の頃である。
まぁ・・・音楽談義と言うと体裁はいいが・・・
泡沫の夢語りである。
たくさんの方が訪問してくれたアパートだった。
あれから約30年後・・・
同じことを「TAKEの創作室」で始めようとしている。
お構いは何もなし・・・
自分が飲みたい分と食べたい分・・・持参。
肴は「音」である。
それから・・・サークル所有の卓(ミキサー)を買い換えた。
みんなでバイトのお金を出し合った。
ベースアンプは「一円玉」の買った。
ニチイの夜市(お祭り)でのステージでのバイト代。
「豊後屋Ⅱ」では、メンバー各々・・・
マイク1本。スタンド1本を共同購入した。
マイクもスタンドも合計6本揃う。
僕のこのマイクはその後「輝ちゃん」で命を引き取る。
とにかく・・・会場さえ取れれば・・・
コンサートができる状態にしたかった。
YAMAHAのミキサー。
YAMAHAのパワードスピーカー。
マイクスタンド・・・
マイクは多種多様・・・
僕の記憶が定かであれば・・・
一番感度の良かったのは、「エーストーン」のマイク・・・
単3電池を入れるやつである。
意外だったのは・・・
「AKG」のダイナミックマイクが1本あった。
スタンドの立て方から・・・
マイクのセッティング・・・
コードの巻き方・・・
修行のような指導を受けた。
確かに体育系のサークルであったのかもしれない。
霊山青年の家で、合宿もあった。
僕が会長を引き受けてから・・・
年4回のコンサートと年2回の発表会・・・
そして、会員によるソロコンサートの企画を引き受けた。
年4回のコンサートにはオーディションがある。
そのオーディションを公開発表会にしたこともある。
ライブハウスも少なかった頃である。
大学でのサークル活動(サウンドファミリー)もあったが・・・
2ヶ月で脱退した。
大学のある「敷戸」って言う町のアパートは避け・・・
大分市中心部に近い「上野六坊」にアパートを借りた。
夜な夜な・・・ミュージシャンが集まった。
毎日が、宴会(食べるものも飲むものも知れているが)・・・
音楽談義を展開した・・・20歳の頃である。
まぁ・・・音楽談義と言うと体裁はいいが・・・
泡沫の夢語りである。
たくさんの方が訪問してくれたアパートだった。
あれから約30年後・・・
同じことを「TAKEの創作室」で始めようとしている。
お構いは何もなし・・・
自分が飲みたい分と食べたい分・・・持参。
肴は「音」である。
それから・・・サークル所有の卓(ミキサー)を買い換えた。
みんなでバイトのお金を出し合った。
ベースアンプは「一円玉」の買った。
ニチイの夜市(お祭り)でのステージでのバイト代。
「豊後屋Ⅱ」では、メンバー各々・・・
マイク1本。スタンド1本を共同購入した。
マイクもスタンドも合計6本揃う。
僕のこのマイクはその後「輝ちゃん」で命を引き取る。
とにかく・・・会場さえ取れれば・・・
コンサートができる状態にしたかった。