さすがに40年以上乗っていると交通違反で切符を切られた事も何回かはある。切られた切符は確かどこかに保存してある。根がまじめな性格(自分で言うのもなんだが(笑))なので捕まった後はしばらく反省する。しかし近ごろの若者は、過度に反省するようだが、警察も仕事でやっているし運もあって日ごろの運転が悪質でも捕まらない奴らは大勢いる。まぁ、再度捕まらないように反省点は復習した方がいいだろう。
自分の場合は30年前に首都高で50キロ規制を80キロオーバー近くでオービスに写って警視庁から呼び出されたのが一番の大ごとだった。午前3時に友人を成田まで送らなければならず、かなり焦っていたので場所が分かっているはずのオービスにやられてしまった。後にも先にも赤切符と免停はこれだけなので、その後、10年間は捕まらなかった事から考えてもその後、如何に慎重に捕まらないよう注意して運転するようになったかが分かると思う。ちなみに10年後に切符を切られたのは友人の家の前で10分の間に交番のお巡りさんに小さなシールを貼られてしまった。交番へ行くと「あっ、来たんだ」と言われて青切符。
オービスが光った事は過去にも何回かはあったが当時はフィルム式?だったからかフィルムが無くなっていて、おとがめなしの事があった。その時も召喚状が来ないといいけどなと期待していたが、とうとうポストにKC庁の字が・・・。で、指定された日だかに桜田門へ行った。受付みたいのがあったので婦警に聞くと上の方の階の部屋を教えられた。もう記憶が薄れているが大きな部屋に机ごとに仕切りがあり入るなり怒鳴られているのがいたので自分もそうなるのかと若かったから少しビビった。順番が来て警察官と向かい合うと写真を見せられ間違いありませんね?となるわけ。あまりにも鮮明に写っていたので感心した。隣に乗っていた友人が笑っていたのが印象に残っている。ちなみに警官はとても穏やかだった。
都内に住んでいなかったのでずいぶんめんどくさい事になった。この後、1週間後だかに都内の簡易裁判所へ出頭するように、その際に罰金を用意するようにとの事。当日は多くの罪人たちがいて賑わっていた。確か大きな部屋で説明を聞き個別に話をして赤切符を渡され1階に下りて窓口で罰金を支払うみたいな感じだったと思う。10代の暴走族風の兄さんが支払えないと言ったら上の階に行くように言われていた。これもよくある事のようでとても事務的で警察とは雰囲気が違った。自分も10万円ぐらいでしたが、この罰金は堪えた。
この段階ではまだ免停になっていないのだ。この後日に地元警察から事情聴取の出頭命令があり遠い免許センターに行った。そこで申し開きがあればするわけだが、3人で部屋に呼ばれた?かで前の人の聴取が聞けた。自分の前の若いのが違反内容を読みあげられる。何年何月何日、何時、一時不停止、同何時、信号無視、同何時、信号無視、同何時、一時不停止。「今後は逃げないように」「はい」自分も思わず笑いそうになったが隣で一緒に待っていたやつが笑いをこらえているのをよく覚えている。しかし次は自分の番なのでそれほど楽観していられない。