毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

下を向いて歩こう

2025-01-20 07:01:21 | 貧乏について

油彩 26x36cm 2014

中学に上がる直前まで僕は建て増した二階家の六畳で住み込みの大工さんたちと一緒に寝起きしていた。そのころ僕は大工さんたちに朝勃ちをよく冷やかされたものだけど、中学に上がったころは家の近くに親父がかなり広い空き地を借り受け材料置き場と職人部屋を造ったので、僕はその6畳間を一人で独占できることになった。そしてそこには親父が仕事先の施主からタダでもらってきた古い応接セットや78回転の蓄音機などがはいるのである。ちょっとしたプチブルの生活を体験するのだけど、まだそのころは戦災を免れて焼け残った大きな民家に何所帯もの家族が住み込んでいるという貧困も存在したのである。また戦争孤児を集めた孤児院から通ってくる同級生もいたのだった。ある時同級生の女の子の誕生日パーティーに招かれたので出かけたら、6畳一間に家族全員が寝起きしているという貧しい家だった。その女生徒はとても明るい人だったのだけど、その家庭の貧しい様子が見てとれて僕は胸が塞ぐのだった。僕は自分だけがプチブルのような生活を享受しているような罪悪感にその後ずっと苦しめられて、母親が買ってくれた新調の学生服を孤児院通いの同級生にあたえて自分は古い学生服のまま通すというような奇妙な行動を取るようになった。たった一人でもこの世に不幸な人がある限り自分だけが幸せを享受するのは間違っている、そんなことができる人間は人間の風上にも置けない、等ととんでもない理屈をこねあげて自分は貧乏の側に立とうと誓うのであった。ガザの難民キャンプで子供が低温症で何人も死んでいると聞けば、自分にストーブの使用を禁じてしまう悪癖がおさまらないのもこうした思春期の体験によるのだと思われる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母を慕いて | トップ | 存在の意味 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

貧乏について」カテゴリの最新記事