油彩 26x36cm 2016年
僕は東南アジアのあちこちの国で仏像を見て来たが、日本の仏像に関してはこの像に非常な愛着を覚えた。それで一気に描いてしまった。毎日見ているが一向に飽きが来ない。30年も前に中国を訪問した時は文化大革命の後遺症で上海市内の仏教寺院は修復がたいへんだったようだ。蘇州の有名な古寺寒山寺を訪ねたら本堂が土産物売り場になっていて興ざめしたのを覚えている。そのころ喫茶店に入っても汽車に乗ってもお茶を頼めば、ガラスコップに茶葉を一つかみ入れて大きなやかんから熱湯を注ぎ入れただけのものを提供された。もちろん有料である。驚いたのは南京の最期の夜同行の中国娘三人を連れてカラオケに入ったら、これがみなこのお茶をすすりながらカラオケを楽しんでいたことだ。少しもアルコールがなかったように思う。同行の中国娘から中国に残って日本語の教師にならないかと打診されたが、聞いてみれば彼らの一か月のサラリーの平均は自分の年齢の日本人サラリーマンに比べて60分の一しかならないのだった。30数年前まではどこへ行っても日本人の境遇はだんとつであって、お隣の韓国なども最貧国の一つであり、若者の男性たちはみな停戦下ということで迷彩服を着ていたし、自分が宿泊した外国人用ホテルのすぐ隣ではまだ七輪を使って朝晩の煮炊きをしていた。ところがそれから30数年経過してみれば、それらの貧しかった国々が日本を追い越しているのだから全く諸行無常、明日のことはわからないという気持ちにさせられる。
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