毎年恒例の箱館戦争追悼会が午後から行われる。
その前に自遊旅で復旧工事をする。
今回は南側の壁の一部ににOSBボードを張った。
ぶんぽ研主催の追悼会に参加するのに自遊旅の外に出たら近くの養護施設のおばちゃんが施設の方を車イスに乗せてきた。
声を掛けられ暫く話す。
昨年沖縄から来た旅人と話したそうだ。
その時にオーナーってどんな人かなあと思っていたそうだ。
会えて良かったと言っていた。
復旧中の室内も見ていった。
追悼会に参加するのに車で北斗市迄行く。
中型バスが満員になる22名くらい参加した。
先ずは新政府軍戦死者、佐藤安の助の墓でお参り。
次に箱館戦争最大の銃撃戦のあった二股台場に向かう。
15分の登りではきつかった人も居たようだ。
ここで私が解説をした。
お参りして、その後、光明寺、無名戦死の墓や弾痕の跡が残る次神社、更には官修墓地で終了した。
終わって会長のOさんの家に行くことになった。
私が日の丘ギャラリーの工房を解体したのを知って自分の持ち家を解体したいので見て欲しいと言うことだった。
一緒に向かう。
解体する家は木造1階建てだった。
Oさんは広い土地を持っていて、昔は家を貸していたそうだが、古くなり今は誰も住んでいない。
これなら解体は問題なく出来る。
市の方からも解体要請が出ているようだ。
他に5棟も家がある。
こちらは屋根の修理を頼まれた。
これらの家も順次解体したいようだ。
費用を幾らにするか決めなかったので、後日決めることになった。
その前に自遊旅で復旧工事をする。
今回は南側の壁の一部ににOSBボードを張った。
ぶんぽ研主催の追悼会に参加するのに自遊旅の外に出たら近くの養護施設のおばちゃんが施設の方を車イスに乗せてきた。
声を掛けられ暫く話す。
昨年沖縄から来た旅人と話したそうだ。
その時にオーナーってどんな人かなあと思っていたそうだ。
会えて良かったと言っていた。
復旧中の室内も見ていった。
追悼会に参加するのに車で北斗市迄行く。
中型バスが満員になる22名くらい参加した。
先ずは新政府軍戦死者、佐藤安の助の墓でお参り。
次に箱館戦争最大の銃撃戦のあった二股台場に向かう。
15分の登りではきつかった人も居たようだ。
ここで私が解説をした。
お参りして、その後、光明寺、無名戦死の墓や弾痕の跡が残る次神社、更には官修墓地で終了した。
終わって会長のOさんの家に行くことになった。
私が日の丘ギャラリーの工房を解体したのを知って自分の持ち家を解体したいので見て欲しいと言うことだった。
一緒に向かう。
解体する家は木造1階建てだった。
Oさんは広い土地を持っていて、昔は家を貸していたそうだが、古くなり今は誰も住んでいない。
これなら解体は問題なく出来る。
市の方からも解体要請が出ているようだ。
他に5棟も家がある。
こちらは屋根の修理を頼まれた。
これらの家も順次解体したいようだ。
費用を幾らにするか決めなかったので、後日決めることになった。