松前町法華寺には旧幕府軍の合葬塚がある。
松前町史に依ると60名が戦死したそうだ。
しかし混乱の中で遺体を埋葬する時間がなく、放置して敗走したようである。
1979年に町民で作る「松前町史に親しむ会」の調査で法華寺の本堂裏側に合葬塚がある事が判明した。
その後、訪れたことも何度かあるが、それを表す看板は朽ちて読むのも難しい状態になっていてた。
それが今年行ったときには、新しい看板が付いていて、ようやくきちっと表示してくれたと喜んでいた。
更に北海道新聞の7月10日付けの記事で、慰霊碑を9月に建てる事になったそうだ。
碑の文字は榎本武揚のひ孫の榎本隆充氏に依るそうだ。
法華寺には幕末ファンが多く訪れるが塚の場所が分からずにうろうろする人が多かった。
碑が建てば参拝も容易になり喜ばしいことだ。
松前には新政府軍の墓はある。
以前は草も綺麗に刈られて、きちっとしていたが、最近行った時は草がほうぼうと伸びて目を覆う状況だった。
新政府軍の墓の整備と旧幕府軍の慰霊碑が出来たときには、維持をきちっとして欲しいものだ。
松前町史に依ると60名が戦死したそうだ。
しかし混乱の中で遺体を埋葬する時間がなく、放置して敗走したようである。
1979年に町民で作る「松前町史に親しむ会」の調査で法華寺の本堂裏側に合葬塚がある事が判明した。
その後、訪れたことも何度かあるが、それを表す看板は朽ちて読むのも難しい状態になっていてた。
それが今年行ったときには、新しい看板が付いていて、ようやくきちっと表示してくれたと喜んでいた。
更に北海道新聞の7月10日付けの記事で、慰霊碑を9月に建てる事になったそうだ。
碑の文字は榎本武揚のひ孫の榎本隆充氏に依るそうだ。
法華寺には幕末ファンが多く訪れるが塚の場所が分からずにうろうろする人が多かった。
碑が建てば参拝も容易になり喜ばしいことだ。
松前には新政府軍の墓はある。
以前は草も綺麗に刈られて、きちっとしていたが、最近行った時は草がほうぼうと伸びて目を覆う状況だった。
新政府軍の墓の整備と旧幕府軍の慰霊碑が出来たときには、維持をきちっとして欲しいものだ。