貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・特別編

2022年07月19日 | 流れ雲のブログ










   









化粧品やサプリメントに含まれる「アンチエイジング物質」
は、その多くが植物由来だ。

なぜ植物はそうした成分を持っているのか。
「それは自ら動くことのできない植物ならではの
生存戦略だ」という。

老化を防ぎ、美容を維持する「アンチエイジング物質」

老化を防ぎ、若返りを図ることを「アンチエイジング」
という。エイジング(加齢)にアンチ(対抗)している
という意味だ。

そして、そのような抗老化の効果がある物質
をアンチエイジング物質という。

世の中には、さまざまなアンチエイジング物質
があふれている。

このアンチエイジング物質の重要な効果が、
「抗酸化」である。

私たちの体は、酸素呼吸をして生命活動
を行っている。 しかし酸素は、物質を酸化させて
錆さびつかせてしまうものでもある。

そして、酸素呼吸を行う生命活動の中で発生
する活性酸素は、さらに酸化させる能力の高い
毒性の物質なのである。

その活性酸素は、体中の細胞を傷つける。

ゆえに、病気や老化を防ぐためには、
この活性酸素を取り除かなければなら
ないのである。

この活性酸素を取り除く働きをするのが、
酸化を防ぐ抗酸化物質である。

もちろん、人間の体の中にも、活性酸素を
取り除く抗酸化物質は存在する。 しかし、
人間の体内活動は活発で、活性酸素を
取り除ききれなくなってしまう。

これが、老化やさまざまな病気の原因と
なっていると考えられているのである。

そこで老化を防ぎ、美容を維持するために
登場したのが、「抗酸化物質」なのである。

抗酸化物質には、さまざまなものがある。

ビタミンCやビタミンEなどのビタミン類も、
抗酸化物質である。

あるいは、ポリフェノール類と呼ばれるものや、
アントシアニンやカロテノイドなども代表的な
抗酸化物質である。

これらの抗酸化物質を多く含んでいるのが、
植物である。

リンゴやミカン、緑黄色野菜などは、
多くのビタミン類を含んでいる。

ポリフェノールは植物が光合成を行うときに
できる物質の総称だ。植物に多く含まれる物質だ。

よくよく考えてみれば、私たちは多くの植物を
食べている。

たとえば、大豆に含まれるイソフラボンや、
緑茶に含まれるカテキン、そばに含まれている
ルチンなどもポリフェノールである。

また、アントシアニンやカロテノイドは、
植物の花や果実を色づけるための色素である。

私たちがアンチエイジングのために利用している
物質は、ほとんどが植物由来である。

植物は、アンチエイジング物質を豊富に
持っているのだ。

しかし、不思議なことがある。

若返りの物質を豊富に持っているはずの
植物でさえも、やがては衰えて枯れていく。

アンチエイジング物質を持つ植物自身は、
アンチエイジングしないのだ。

それでは、どうして植物は、アンチエイジング
物質を持っているのだろう?

これには植物の壮絶な戦いが関係している。

植物に襲来する病原菌は多い。
しかし植物は動くことができないから、
病原菌がウヨウヨいるような環境でも
逃げられない。

病原菌がやってきたら、植物は
どうするのだろう。

植物病原菌の襲撃を感知すると、植物は
活性酸素を大量発生させる。 活性酸素は、
ありとあらゆるものを錆びつかせてしまう
毒性物質である

。植物は、この活性酸素を大量に発生させて
病原菌を撃退する。おそらく、かつてこの
活性酸素は攻撃力の高い武器だったのだろう。

しかし病原菌は病原菌で、植物に感染
しなければ生きていくことができないから、
植物の防御の対応策を進化させていく。

そのため、植物と病原菌とが進化を果たした
現在では、活性酸素だけで病原菌を撃退
することはできない。

それでも活性酸素の発生は、今でも植物
にとって重要な役割を果たしている。

活性酸素が発生しているということは、
病原菌が襲来しているということを表している。

そのため、活性酸素の発生を感じると、
植物はこの緊急事態を他の細胞にも伝えていく。

つまり、活性酸素は、臨戦態勢をとる合図の役割
をしているのである。 活性酸素の発生によって、
植物の体は臨戦態勢を整える。

まだ病原菌に侵入されていない細胞は、
壁面を固くして防御力を上げる。

さらに、抗菌物質を大量に生産して、
病原菌との戦いに備える。

しかし、これらの対抗策は準備にやや
時間がかかるという欠点がある。

もし、病原菌の侵入を許してしまったら、
細胞はどうすれば良いのだろうか?

病原菌に襲われた植物細胞は最後の手段で
「自死」する

絶体絶命に陥った植物細胞の最後の手段。
それは敵もろともの「自死」である。

病原菌に侵入された細胞は、次々に
死滅していくのだ。

どうして、そんなことをするのだろう。

病原菌の多くは生きた細胞の中でしか
生存できない。

そのため、細胞が死んでしまえば、
侵入した病原菌も死に絶えてしまう。

そのため、感染された細胞は、自らの命と
引き換えに、植物体を守るのである。

病原菌の攻撃によって細胞が死んでしまった
ようにも見えるが、そうではない。

植物側の防御の仕組みとして、
細胞自身が自殺をする。

この現象は「アポトーシス(プログラムされた死)」
と呼ばれている。

実際には病原菌の侵入を受けた細胞ばかり
でなく、周辺の健全な細胞もアポトーシス
を起こす。

山火事のときに、それ以上、火が燃え広がら
ないように木を切り倒して食い止めることが
あるが、同じように、近接する細胞を死滅させる
ことで、病原菌の広がりを食い止めるのである。

病原菌の攻撃を受けた葉っぱに細胞が
死滅した斑点が見られることがある。

しかし、実際には病気の症状ではなく、
細胞が自殺して病原菌を封じ込めた跡
であることも少なくない。

かくして細胞たちの激しい戦いと尊い犠牲に
よって、植物は病原菌から守られるのである。

とにもかくにも、植物に平和が訪れた。 ところが、
これで終わりではない。

物語には続きがあるのだ。

戦い終わってみれば、植物が戦いに使用した
大量の活性酸素が残されている。

活性酸素は毒性物質だから、植物に対しても
悪影響を及ぼす。

戦いが終わった後に不発弾や地雷の撤去が
必要なように、この活性酸素を取り除かなければ
真の平和は訪れないのだ。

そこで、登場するのが、ポリフェノールやビタミン類
など植物が持つ抗酸化物質である。

植物は、活性酸素を効率良く除去するための
さまざまな抗酸化物質を持っているのだ。

それだけではない。 活性酸素は、今や防衛の
武器というよりも、植物の体の中の細胞に危機
を知らせるためのシグナルのような役割をしている。

植物のまわりにはさまざまな雑菌がウヨウヨしている。
日々、病原菌の攻撃を受け続けている。

さらに植物は、乾燥などの環境ストレスを受けた
ときにも、緊急事態を知らせるシグナルとして
活性酸素を利用するようになった。

そのため植物は、常に活性酸素を出したり、
除去したりを繰り返しているのだ。

もちろん、私たち人間の体も、活性酸素の発生
と除去のシステムを持っている。

しかし、人間や動物は過ごしやすい場所を選んで
動くことができるのに対して、植物は動くことが
できないから、そこが生存に適さない場所でも
逃げられない。

常に環境ストレスに耐え続けなければ
ならないのだ。

そのため植物は、動物よりも頻繁に活性酸素を
発生させては、除去することを繰り返している。
そして、抗酸化物質を充実させているのである。

私たちが利用する抗酸化物質の多くが植物
由来なのは、そのためなのである。

抗酸化物質は不老の薬ではない

人間の細胞もまた、ストレスや紫外線などを
感知すると、自ら活性酸素を発生させる。

そして、その活性酸素は、細胞を傷つけ、
さまざまな症状を引き起こす。

長く生きていれば、細胞も劣化が
進んでしまうだろう。

そんな活性酸素を除去するために、
植物の抗酸化物質が効果を発揮するのだ。

植物は、豊富なアンチエイジング物質を持っている。
しかし、不思議なことに、植物は老化する。

美しい花も、やがて萎れ、生き生きとした葉も
やがて枯れていく。

植物にとって抗酸化物質は、アンチエイジング
のためのものではなく、病原菌や環境ストレスから
身を守るための物質に過ぎないのである。

もっとも、よくよく考えてみれば、私たち人間にとっても、
抗酸化物質でアンチエイジングすることはできない。

もしかすると、抗酸化物質は、肌をピチピチに保ち、
「肌の老化」を抑制するかもしれないが、それでも
体は老化していく。

アンチエイジング物質をどんなに摂取しても、
老化を止めることはできない

。どんなに見た目が若々しく維持できたとしても、
体は確実に老いていくのだ。

「アンチエイジング物質」とは呼ばれていても、
抗酸化物質で老化を止めることはできない。

抗酸化物質ができるのは、病気になるリスクを減らし、
健康に老化を進めることだけなのだ。

植物にとっても、それは同じである。

植物のアンチエイジング物質は、けっして老化
しないための物質ではない。

植物にとって、それは生きていくための物質である。
そして、植物もまた、大量の抗酸化物質を持ったまま、
静かに老いていくのである。 …












雨降りお月さん 雲のかげ お嫁にゆくときゃ 
誰とゆく 一人でからかさ さしてゆく
からかさないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく・・・

野口雨情が書いた詩に中山晋平が曲をつけて
日本の名曲になった。

この詩が書かれたのは大正14年(1925年)
当時の日本人の平均寿命は男女とも43歳.

結婚して家庭を作り、2人で一所懸命、
人生を歩む.

でも、男は田に出て一日中、力仕事をし、
女は朝早くから掃除洗濯子育てで体は
ボロボロになる.

日照りが続くと夫は家族が飢え死ぬことがない
よう必死になり、妻は姑の世話をしながら過ごす.

そして40代も半ばになると体はボロボロになって
死の床につく。

それでも多くの人は神様に感謝し、幸福な
思いの内に一生を終えたのだった。 ・・・・

当時は結婚前に一度も顔を見たことがない
という場合も多かった。

お嫁さんが馬に揺られて来ると、お婿さんが出迎え、
そしてお互いに座敷に座って、そこで初めて相手
の顔を見る.

「もうちょっと別嬪さんだったらな・・・」
「あら、働きのなさそうな人・・・」

なにをお互いに思ったのか、それは様々だが、
心は一つだった。

それは、「これからこの人と夫婦になるのだ」
ということだ。

婚姻届はその日の内に役場に出せる.
子供も10月10日でできる。

でも簡単に「夫婦」になることはできない。
そのことは二人ともよく分かっていた。

顔も知らない相手と結婚するのだから、
結婚したとたんに「愛している」という
関係でもない。

まして「できちゃった婚」などということもない。

ただ、二人には「この人こそが神様が決めて
いただいた生涯の伴侶だ」という意識だけはあり、
そうなろうと努力するのだ。

やがて子供に恵まれ、生計を立てている内に
二人は一つになる。

相手の喜びは自分の喜びとなり、
相手の悲しみは自分の悲しみとなる.
そこで初めて夫婦になる。

自分が痛ければ相手も痛い、
相手が嬉しければ自分も嬉しい。

・・・・・・・・・ それから・・・・現在.
「損得ゲーム」にいそしむ夫婦が増えた.

「私だけが台所をするのはおかしいわ.
少し残しておくから、あなたもやりなさい」、

「俺ばかりがなぜ稼ぐんだ。
おまえも稼げよ」、

「そんなに使うなら私も貯金を使ってやるわ!」
と怒鳴り合う夫婦が増えた。

家計をともにし苦楽を共にしている夫婦が
「損得ゲーム」をしているのだ。

それは「共同生活者」であって「夫婦」ではない。

ご飯を食べるときもできるだけ相手に
美味しいところを食べさせようとする。
妻が靴を買って喜んでいたら自分の
事のように嬉しい。

そういえば、自分は靴などはすり切れれば
買えばよいが、妻はあれこれ言って新しい
靴を買ってくる.

でも、それで良いのだ.

自分の代わりに靴を買って喜ぶ人が妻なら、
それは自分自身でもあるから。 ・・・・

愛しているから夫婦ではない。
お互いに愛している男女を恋人と呼ぶ.

結婚届を出したから夫婦ではない。
外国籍の問題で偽装結婚をする人もいる。
結婚届けは単に法律的な位置づけだけだ。

まして子供ができたからといって夫婦ではない。

夫婦とは心と体が一心同体になった
一組の男女のことなのである。 ・・・・・












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