
アルベール・カミユ
「仮面の告白」には若干の違和感を覚えたが、三島由紀夫の「金閣寺」を読み通して小説の面白さや読書の楽しさに目覚めた。三島の作品はわたしのような文学音痴にも解りやすい、洗練された確かな日本語で書かれているので、辞書を片手に読みさえすれば親しみ易い。しかも三島自身が自らの作品について多くを語っているので作者の創作意図を掴みやすい。読書がぶれないのである。
純文学以外の「行動学入門」や「文化防衛論」「若きサムライのために」「小説とは何か」「文章読本」などを片っ端から読むにつけ三島にかぶれていった。小説は元来苦手なのである。それでも、最近になって(全集を買ってみて)三島の小説の4割方をすでに読んでいることに驚いた。三島は当時のわたしの知的な好奇心の方向に適っていたのであろう。自決後も様々な三島由紀夫「論」を読んだ。が、心に残った著作はない。
思想というものにからっきし免疫がなかったせいもあって、思想的にも三島から受けた影響は甚大であった。なんの抵抗もなく「文化防衛論」に心酔したし、「憂国」の割腹シーンに、大儀に殉じる者の潔さを感じた。40歳を過ぎる頃になってアジテーター三島の独善性と危険性に気がつくような体たらくである。
もう一度読んでみたい作品は、ありきたりのところで「春の雪」「金閣寺」「仮面の告白」である。文学作品として優れていると思う。若き日にわたしのこころを打った思想家としての三島、今では、残念ながら紛いモノであったといわざるをえない。三島も(私も)当時は純粋過ぎたのであろう。作家三島に対する畏敬の念は、彼の自決と共に消え失せてしまった。
三島の自決の直後に「実存主義入門」を読んだのがきっかけで、サルトルの著作を読むようになった。サルトルの哲学は難解で歯が立たない。翻訳も拙い。やがて「カミユ・サルトル」論争を知る。カミユの面構えが大いに気に入った。間もなくわたしと「貧困・サッカー・法律」という共通項があるアルベール・カミユを耽読するようになる。「シーシュポスの神話」と「異邦人」を読んで得たカミユの世界が不毛とか乾燥とか虚無的という私の心象にマッチしたのであろう。
「太陽の讃歌」から「反抗的人間」へとわたしのカミユ遍歴は続く。同時に余りに日本語離れした翻訳に悩まされる日々が訪れる。やはり三島の熟成した日本語は卓越していたことを改めて実感する。カミユがノーベル賞作家であり既に故人であることを知らなかった。はやと23歳。
Wikipediaより
アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913年11月7日 アルジェリア - 1960年1月4日)は、フランスの小説家、劇作家。
フランス系アルジェリア人の子としてモンドヴィ(Mondovi;現ドレアン, Dorean、アルジェリア)に生まれる。1914年9月、幼くしてマルヌ会戦(第1次世界大戦)で父 ルシアン(Lucien)を失い、聴覚障害を持つスペイン系の母と、アルジェのベルクール地区で幼少期を送る。17歳の時に結核にかかるが一命をとりとめ、アルジェ大学を卒業。
21歳の時アルジェ地区の共産党に入党し。アラビア人達に共産党の宣伝活動をするがその翌年離党する。1940年にパリの雑誌社『パリ・ソワール』の編集部員となるがドイツ軍がパリを制圧すると9月にアルジェリアに帰国する。1942年にカミュは再びフランスの地を踏み非合法誌『コンパ紙』を発行するなどレジスタンス活動に参加する。第二次世界大戦終結後はアメリカに渡りニューヨークで学生達を前に講演し熱烈な歓迎を受ける。
『異邦人』や『シーシュポスの神話』、『ペスト』などの著作で、人間存在の不条理さに光を当て、1957年にはノーベル文学賞を受賞した(『この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して』; "for his important literary production, which with clear-sighted earnestness illuminates the problems of the human conscience in our times.")。これは、第二次世界大戦後としては最年少での受賞であった(史上最年少はラドヤード・キップリング)。
哲学者、文学者ジャン=ポール・サルトルと共同で文学活動を行ったが、1951年に刊行した評論『反抗的人間』における共産主義批判を契機として雑誌『現代』においてサルトルらと論争になったことで決裂した。かつて実存主義者とみなされることが多かったが、実際には実存主義提唱者サルトルなどと文学的内容は異なっており、本人も実存主義者とみなされることを強く否定していた。1960年、自動車事故死。遺作は『最初の人間』