桶谷秀昭著「人間を磨く」(新潮新書)を読む。
「人間を磨く」とはありきたりでつまらない表題だなあと思いつつ、本文を2~3ページめくって読んでみた。論旨が骨太で腑に落ちるところがあったので買った。10年ばかり前までならば著名な学者の著作のみを読んだ。自分の好き嫌いや肌に合う合わないといった感性と関りのない読書だ。最近では自分の読書傾向が大きく変容していることに気が付きはじめた。
「私はこの稿を、本を読むという精神的ないとなみは、人生にどのような意義があるのかといふ問題において考えようとしてゐる。だから仕事の上で本を読むことは、この問題の中に含まれない。」
「せっかく買ったけれど、読めない本がいくらでもある。眼球は活字の上をつるつると滑ってゆき、作家の精神に直面できなかったら、私は『読めなかった』という。」
「『読書は人間を作りますか』ときかれたとする。私は意地悪く『作らないんぢゃないですか』と応えるだろう。」
「読みたい本への渇きは、米への願望よりも激しいことがある。」
以上は、「人間を磨く」から引用のうえ改竄。
私は、思考の根っこに骨太な思想が香る著作を好む。心理学の国分康孝や哲学の木田元辺りが典型だ。「人間を磨く」を読み終えてから躊躇なく『昭和精神史』を買い求めることに決めた。
桶谷秀昭さんは1932年生まれだから、執筆は(2007年発行)はおそらく75歳あたりだろう。
「人間を磨く」とはありきたりでつまらない表題だなあと思いつつ、本文を2~3ページめくって読んでみた。論旨が骨太で腑に落ちるところがあったので買った。10年ばかり前までならば著名な学者の著作のみを読んだ。自分の好き嫌いや肌に合う合わないといった感性と関りのない読書だ。最近では自分の読書傾向が大きく変容していることに気が付きはじめた。
「私はこの稿を、本を読むという精神的ないとなみは、人生にどのような意義があるのかといふ問題において考えようとしてゐる。だから仕事の上で本を読むことは、この問題の中に含まれない。」
「せっかく買ったけれど、読めない本がいくらでもある。眼球は活字の上をつるつると滑ってゆき、作家の精神に直面できなかったら、私は『読めなかった』という。」
「『読書は人間を作りますか』ときかれたとする。私は意地悪く『作らないんぢゃないですか』と応えるだろう。」
「読みたい本への渇きは、米への願望よりも激しいことがある。」
以上は、「人間を磨く」から引用のうえ改竄。
私は、思考の根っこに骨太な思想が香る著作を好む。心理学の国分康孝や哲学の木田元辺りが典型だ。「人間を磨く」を読み終えてから躊躇なく『昭和精神史』を買い求めることに決めた。
桶谷秀昭さんは1932年生まれだから、執筆は(2007年発行)はおそらく75歳あたりだろう。