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英国人学者と無名ブロガー その②

2007-08-04 20:25:18 | 歴史諸随想
その①の続き
Dore様、返信有難うございました。
貴方は以前「(コラムを)思う存分書かせてもらった」「僭越ながら~」と表現されてましたね。
つまり、ご自分のコラムが不遜に当たるのを承知の上で書かれたとなります。

 私も貴方に習い、僭越ながら思う存分反論をさせて頂きました。ケース・バイ・ケースが基本であり、日英共に思想・表現の自由がありますから、別に問題はないでしょう。少なくとも大半の日本の文化人と違い、メールを受け付けられる度量のある方ですから。

 それより、貴方が日清戦争に伴うナショナリズムで、ハイカラ趣味が下火になったと書かれたのは、どのような根拠や史料文献から断定されたのでしょう?
 そして洋風好みが復活したのを、日英同盟が提携された1902年としてますが、既に7年前に日清戦争は終結している。戦争前後は大規模な対外戦争のため、 華美を戒める自粛があったのは確かでも、これはフォークランド紛争や最近のイラク戦争でも変わりない現象。時期的にかなりおかしい。あたかもハイカラ復活の功績は英国との願望的解釈であり、これぞ英国人のナショナリズムではないでしょうか。

「私の国も含めて、困らせるべき政府が多いと思われませんか」と、反体制活動家ような事も貴方は仰ってましたね。貴方の論調は皮肉を効かせているつもりでも、怒りも見え隠れする。憤りが鬱積しているのは、他ならぬ貴方ご自身なのでは?

何かと言えば、ナショナリズム、小人が貴方の口癖のようですね。女子と小人養い難し、なので悪しからず。

 以上は私の2度目のメールの全文。これに対し、ドーア氏から1回目よりは丁寧な回答を頂いた。

 87年条約改正交渉の失敗で、鹿鳴館時代で酣になった文明改革熱が冷め、「日本および日本人」(90年)という雑誌がナショナリズムの担い手として生まれたり、「日本主義」 が叫ばれたり、85年の遼東半島返還で、西洋諸国への恨みが深む。02年、英国が日本をロシヤに対する便宜同盟国にしようと同盟を結んだのは、日本の国民 に「英国の友情の表れ」として日本政府が宣伝した。「日英同盟の歌」が小学唱歌に入るまでだった。というところでないでしょうか
Ronald Dore


  予想していたが、氏がナショナリズムの根拠として挙げたのが、日本史の教科書に太字で記載されている(つまり一般的)「日本人」だった。保守系雑誌として あまりにも有名だが、この類の雑誌をもってナショナリズム論とするなら、英国の所謂高級紙もどうなのやら。一昨年の記事「大本営発表」でも書いたが、第一次戦争時の煽動記事は凄かったのだ。さらに明治政府の不平等条約改正交渉は1887年一度だけでなく、その前後にも何度も挫折しながら行われている。特に世論が沸騰したのが、明治19(1886)年の英国によるノルマントン号事件
 そしてドーア氏の年号の間違いは単なる入力ミスなのか気になる。私も3度目のメールで正しい年号をあえて書いたが、日本人学者なら考えられないお粗末な間違いである。

 「ローマの街角から」(塩野七生著)というエッセイに載っている、モルガン・スタンレーのエコノミストの発言は興味深い。「経営には日本型もアメリカ型もなく、良い経営か悪い経営しかない、性善説よりも性悪説で制度をつくった方が人間は良くなる」と。
 経済に関し私はまったくのド素人だが、経済学者たちが真に経済に精通しているなら、彼らは今頃株で大儲けをしているか、大企業を興し、大金持になっている程度のことなら分かる。
その③に続く

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