30年近く、前のこと。
「学校に行かない子をもつ親の会」主催という
講演会での記憶です。
演者は「小児精神科医」の
草分けのような方。
わたしのこどもたちも、小学生の頃から
「学校には行かない」人になっていたので
勧められて、講演を聴きにいきました。
講演のタイトルは気にしてなくて
よく見てなかったのですが…
講師の先生は開口一番
「こちらへ来る途中
講演のこのタイトルの意味を
ずっと考えていました」
御自身が決めたタイトルではなく
「こういうテーマで話して下さい」と
依頼された… ということなのでしょう。
飛行機の中で、それをずっと
考えていたのだと。
そのテーマ(タイトル)というのは
もうオボロな記憶ですが
「人はなぜ生きるのか」
といった言葉だったと思います。
「人間は何を求めて」とか「何に支えられて」
生きていくものなのか… というような意味でしょうか。
「色々考えた挙句…」と、先生は
「人は何かを求めて生きているわけではない」
「少なくとも自分は、なぜ生きているのか
目的も理由も思い当たらない」
「うちのネコは、何も考えずに
生きているように見える。そして
それが間違っているようには思えない」
「結局のところ」と、一息ついて
先生が口にされたのは
「人は気分で、生きているのではないかと」
「人間の脳には、新しい部分と旧い部分があって
あらゆる生き物と共通なのは旧い方です。
新しい脳は『進化の頂上』とか言われるようですが
生き物としては『すぐ混乱する』『簡単に誤魔化される』
部分なんじゃないかと」
こどもが学校に行かないだけで
親はものすごく不安になってしまう。
不登校のこどもを苦しめる最大の問題は
この『親の不安』だと自分は思う。
そういった親の不安は、世間の常識や
自分がこれまで言い聞かされてきたことを
新しい脳が蓄積していて、その記憶に
人は翻弄されたりダマされたりするのだと
先生は言いたそうでした。
30年も前の講演内容を憶えているはずもなく
ここまで書いたのも、ほとんど
妄想記憶かもしれません(^^;
でも、あのとき聞いたひとこと
「人は気分で生きている」
は、その後も長くわたしの耳に残りました。
自分の場合「アタマで考えるとロクなことにならない」
というのは、長年の経験から感じていたこと。
それに意外な方向から応援が来たようで
ちょっと嬉しかったのかもしれません。
講演当時、70代?と思われた渡辺位先生は
その後、84歳で亡くなりました。
「不登校は文化の森の入り口」
というタイトルの本が残されるような方でした。
当時はまだこどもだった、わが家の若い友人たちも
学校とは無縁のまま、今は30代のオジサンになり
とっくの昔に、親子で立場が逆転しています。
「人は気分で生きている」
あらゆる生き物と共通の「何か」を感じながら
ただ生きているだけでいいのだと。
この言葉は、今も
色々なことができなくなりつつある
わたしを支えてくれています。