もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

人は気分で生きている?

2025-01-26 16:25:57 | 出会った人々


30年近く、前のこと。


「学校に行かない子をもつ親の会」主催という

講演会での記憶です。


演者は「小児精神科医」の

草分けのような方。


わたしのこどもたちも、小学生の頃から

「学校には行かない」人になっていたので

勧められて、講演を聴きにいきました。

 

講演のタイトルは気にしてなくて

よく見てなかったのですが…


講師の先生は開口一番


「こちらへ来る途中

講演のこのタイトルの意味を

ずっと考えていました」


御自身が決めたタイトルではなく

「こういうテーマで話して下さい」と

依頼された… ということなのでしょう。


飛行機の中で、それをずっと

考えていたのだと。


そのテーマ(タイトル)というのは

もうオボロな記憶ですが

「人はなぜ生きるのか」

といった言葉だったと思います。


「人間は何を求めて」とか「何に支えられて」

生きていくものなのか… というような意味でしょうか。



「色々考えた挙句…」と、先生は


「人は何かを求めて生きているわけではない」

「少なくとも自分は、なぜ生きているのか

目的も理由も思い当たらない」


「うちのネコは、何も考えずに

生きているように見える。そして

それが間違っているようには思えない」


「結局のところ」と、一息ついて

先生が口にされたのは


「人は気分で、生きているのではないかと」



「人間の脳には、新しい部分と旧い部分があって

あらゆる生き物と共通なのは旧い方です。

新しい脳は『進化の頂上』とか言われるようですが

生き物としては『すぐ混乱する』『簡単に誤魔化される』

部分なんじゃないかと」

 

こどもが学校に行かないだけで

親はものすごく不安になってしまう。

不登校のこどもを苦しめる最大の問題は

この『親の不安』だと自分は思う。


そういった親の不安は、世間の常識や

自分がこれまで言い聞かされてきたことを

新しい脳が蓄積していて、その記憶に

人は翻弄されたりダマされたりするのだと

先生は言いたそうでした。



30年も前の講演内容を憶えているはずもなく

ここまで書いたのも、ほとんど

妄想記憶かもしれません(^^;


でも、あのとき聞いたひとこと

「人は気分で生きている」

は、その後も長くわたしの耳に残りました。

 

自分の場合「アタマで考えるとロクなことにならない」

というのは、長年の経験から感じていたこと。


それに意外な方向から応援が来たようで

ちょっと嬉しかったのかもしれません。



講演当時、70代?と思われた渡辺位先生は

その後、84歳で亡くなりました。

「不登校は文化の森の入り口」

というタイトルの本が残されるような方でした。

 

当時はまだこどもだった、わが家の若い友人たちも

学校とは無縁のまま、今は30代のオジサンになり

とっくの昔に、親子で立場が逆転しています。

 

「人は気分で生きている」


あらゆる生き物と共通の「何か」を感じながら

ただ生きているだけでいいのだと。



この言葉は、今も

色々なことができなくなりつつある

わたしを支えてくれています。

 

 

 

 

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26 「また会えたよ」って言いたくなるヒト …(ジョウビタキさん:その2)

2024-11-03 16:16:28 | 家から半径1㎞で出合った野鳥たち

「今年も見たよ」じゃあなくて

「今年も来てたよ」でもなくて


「今年も、また会えたよ~」って

家に帰ってから、言いたくなるヒト。


このところ、うちの周りでも

声がかすかに聞こえる気がして

もしかして、散歩に出たら会えるかなって。

 

今朝は、久しぶりの晴天。

明け方の空をこうして見るのは

寝てばかりいたこちらも久しぶり。


起き出せたのも嬉しくて

雲ひとつない空を見上げて歩く。


まもなく聞こえ始めた

ヒッ、ヒッ、ヒッ (やっぱりいる!)



日曜の早朝、車もほとんど通らない。


普段はかすかにしか聞こえない

あの目立たない?声が

結構よく通って、はっきり聞こえる。



でも、姿は見えない。

というか、わたしに見当たらないだけ?


小さな公園では、木に枯れ葉が残ってて

枝にいても、見つけられない。

でも、なあんとなく

声は聞こえる(不思議だなあ)



「あっ!」


野原の水路のそばの小道で

歩いてたわたしの目の前を

突然、一羽の小鳥が、横切って飛んだ!


ここはスズメか、メジロか

ムクドリしか見かけないけど


「あれは違う!」

 

でも何者かは、まだわからない。


(ジョウビタキ…って思うんだけど

違ってたら、悲しいし)

 

海沿いの道に出て

並木の間を歩いていたら

「声」が急に大きくなって

「上」から降ってくるようになった。

 

見たら、電線の高いところに

一つだけ小さな黒い影。

ときどき尻尾を上下に振ってる。


ジョウビタキだ!!


「あーもう、これでいいや。間違いないもん」


その後はルンルン、川縁を歩いて

家に向って歩き出したときのこと。


緑の多い、古い小さなおうちのそばで

突然、至近距離に現れたジョウ君。


「何してたの」って言いたげな

素知らぬ風情で、じっとしてる。


色合いが少し薄くって

ほっそりすっきりした姿。


まだ若いヒトなのかな。

それとも、長旅の後で

痩せてるのかしら。



こちらはもう

胸がドキドキ・あっぷあっぷ。


でも、せっかくポーズを取ってくれてるんだし

持ってきたカメラで撮ろうとしたら

次の瞬間、バッテリーが切れた。

 

「えっ? ええっ??」


ジョウ君の姿は、もちろん消えてた。

(かすかに「ドジ!」って言われた気がした)



でも明日からは、また

散歩がぐっと楽しみになるな~


あちこちで、ジョウ君たちや

おジョウたちに、きっと会える。



なぜか「あいさつ」に出てきてくれる

ヒトたちなんだよ。


「テリトリーに眼を光らせてる」だけだとしても

「ワタシの領分で大きい顔すんじゃないわよ」って

ニラミをきかされてるんだとしても


ファンは「おはよう!」ってニッコリされてる

気がするものなんだよね(^^)


(「推し」がいるって楽しいな~)






コメント (3)
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つい、このあいだのことなんだよ

2024-09-28 15:30:44 | K市での記憶

晩年の父が言ったことば。

「つい、このあいだのことなんだよ」


どう言ったら伝わるか…と、考え考え

父はことばを続けた。

「きみたちからみたら

ぼくらはずーっと年上のひとだろ。

でも、そんなに遠い距離じゃないんだ」


「きみたちが今出合ってること

感じて、考えてるようなことって

ほんとに、ちょっと前まで

ぼくらも、悩んでたりしたことなんだよ」


「でも、わからんだろうなあ、この感じは」

父は、ちょっと口惜しそうだった。


前に居たわたしも姉も

なんだかポカンと聞いていた。


なぜそんなことを言われるのか

なぜそこまで、それを伝えたがるのか

父の気持ち、意図が

わからなかったんだと思う。

 

今のわたしには、当時の父が感じていたこと

「つい、このあいだのこと」という感覚は

よくわかる。

20年なんて、「ほんのちょっと前」だから。


でも、わたしはそれを若い友人たちに

わざわざ言いたいとは思わない。


でもそれは、父とわたしとの

単なる性格の違いに過ぎない。

 

父は「わかってほしい」人だったのだろう。

「人と、家族と、気持ちを共有したかった」人。

(だからあんなにオシャベリだったんだ)



辛うじて大正生まれ。

「男は無口が当たり前」の時代に

誰に対してもあれほどフレンドリーだった彼に

いちいち応えなきゃいけないのがメンドウで

わりと冷たかった末娘は

今頃、ちょっと後悔?している。


父は60過ぎで亡くなり

わたしは今70になった。


わたしの知っている父は

今のわたしより、ずっと若かったのに

「遠い」人だと思っていた自分が

ちょっとだけ悔しい。

 

 

 

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ねねの日記・40 ・・・ オヨメサン

2024-08-30 17:56:27 | E市での記憶

うちのお向かいは、カミユイさんで

たま~にだけど

オヨメサンが出てくる。


出てくるっていうか

「出来てくる」んだよね。


きれえな着物着て

白くきれえにお化粧して。


アタマの白いきれは

ツノカクシ

お引きずりの長~いきものは

ウチカケだって

カンゴフサンたちがおしえてくれた。

雨ふりそうなときなんか

スソが地面につきそうで

黒いきもの着た女の人たちが

「あ、そこ、もうちっと」とかって

あわてて持ちあげてた。

 

オヨメサン見たあとは

うちかえってから

絵ぇかきたくなる。


でも、アタシだと

うまくかけないんだよね。

おねえちゃんかいたら

ぜったいうまいと思うんだけど。


でも、おねえちゃんは

オヨメサンとか、あんまし

「きょーみない」とかって言うの。



おねえちゃんは、女の子のマンガも

あんまり借りない。


男の人とか、男の子向けの

「ギューン」「ガチャーン」「ズドーン」

「ビシッ、バシッ、グサッ」

なんてのばっか、借りてくる。


アタシはお姫さまとか、長~いドレス

ネックレスとかイヤリングとか

きれえなもんが出てくるのがいい。


でも、「星のたてごと」とか

「白いトロイカ」は

おねえちゃんも好きって言ってたよ。


「リボンの騎士」なんて

おとうちゃんもおかあちゃんも

好きだったみたい。



アタシ、マネして絵かこうとしても

うまくかけなかったんだけど…


それでもたくさんかいたなあ。

 

おねえちゃんは、いつのまにか

「馬の絵」しか、かかなくなっちゃったけど

アタシはきれいなモノがかきたかった。


そーゆーの「ロマンチック」っていうんだって

それもカンゴフさんからきいた。

 

アタシ、おねえちゃんみたいに

かわいいって、あんまり言われないけど

ろまんちっくが好きでも、いいよね~


そんなことも思ってた。

 



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音匣 おるごおる

2024-08-18 15:16:13 | K市での記憶

オルゴールが好きだと言っていた父は

晩年になって、外国のメロディーの入った

大きなオルゴールを買った。


なんていう曲かはわからなかったけれど

父の書斎の「箱型の棚」に置くと

棚が共鳴して、素晴らしい響きになるとわかった。


テーブルに置いて、ふたを開けたときは

ごく普通に「きれいな音色」


でも、棚に置いて開けると、突然

魔法の楽団が現れたみたいになる。


「共鳴ってすごいね」

「音の魔術だね」


姉もわたしも、ただうっとり聞きほれた。


オルゴールの秘密を教えてくれた母は

発見したのは自分と言いたそうだった。

 

ほんの数分の室内楽。

音の箱をじっと見つめて。

 

オルゴールを「音匣」と書くと知ってから

あのときの光景が

一枚の静止画になって目に浮かぶ。

 

あれから40年以上。

今はオルゴールも、あの家もなく

父も母も別世界の人。


姉の声を聞くこともなくなって…

 

それでも、またいつか

いっしょにあの曲を聴ける日が

来るような気がして、仕方ないのだ。

 

 

 

 

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