「カクザイって、握ってると、後で手ェ離そうとしても
ガチガチで、離せなくなるんですよ」
「・・・火炎ビンとか投げたりしました?」
「う~ん、そーゆー話はまあ置いといて(笑)
え~と、何科なんですか?」
「何科?」
「お医者さんなんでしょ?」
「ううん、私は医者じゃないの。
なれなかったんです。あ、でも
卒業だけはしたんですよ(ほとんどジョーク)」
「う~~~ん(クソ~)ぼくは2年で放り出された(笑)}
(周囲から「長崎だから」の声)
「あ、(かの有名な)長大方式の・・・
ヒドイ目に遭ったんですね。2年の終わりに単位がちょっと
足りないくらいでやめさせられるなんて」
「(うんうんと頷きながら、でもちょっとハズカシソウに)
ま、授業どころじゃなかったし、結局勉強なんてしなかったし」
「卒業したなんて偉いですよォ。偉い偉い、ほんとに」と
子どもに言うような、自分に言い聞かせるような口調で
繰り返しておられたのを思い出す。
35年ほど前のこと。
「家族の友人」程度の関係で
言葉を交わしたのも、このときだけ。
なのに・・・今も忘れられない。
ごく少数の「個人の集まり」として
市民運動をしていたグループの中で
家族はその人と知り合ったらしい。
当時の私は、精神科を出たり入ったり。
その人のことも、四方山話として聞くだけだった。
どんなイベントだったのか・・・
私も家族に連れられて
珍しく遠出した帰りのこと。
既に時刻も遅く、仲間同士で
飲みにいくことになったらしい。
小さな居酒屋が連なるほの暗い小路の一軒。
急な階段を上がって、天井の低い2階の小部屋。
数人で卓を囲んで、古い畳に坐って・・・
飲み会なんて学生時代以来。
一人で帰るという知恵もなかった私は
言われるままにその場に坐って
周囲の話を聞いていた。
みんな学生時代のことを
わいわい話していたけれど・・・
カリカリに細い長身。
キラキラした大きな目が
歯切れのいい口調以上にモノを言ってる。
その人のサービス精神に富んだ
明るい喋り方を聞いていると
学生運動も市民運動も、なんだかとても
「わくわく楽しいこと」のように聞こえた。
上の会話は、その途中に
偶然挟まったものだった。
その後、私はそういう場へ
出向くことは無くなったけれど
「奥さんは来ないのかって訊かれた。
残念そうな顔してたよ」と家族は言った。
その後、家族も私も高知を離れ
あちこちを転々とした後
もう一度高知に戻ってきた。
Nさんは、ちょっと離れた町で
ある病院の事務長をしていると
久しぶりに会った家族から聞いた。
「事務長ってのは、もう何だってやる。
トイレが詰まったのも、ヤクザとの交渉も」
なんて話を聞くと、「あはは、変わってないんだ」
勝手にそんな風に感じて、私はなんだか嬉しかった。
いつのことだったか・・・
突然、その人が入院していて
近々ホスピスに移るという話を聞いた。
家族も「しばらく会ってないから(事情がわからない)」と
迷いながら、お見舞いに行った。
(一瞬、一緒に行こうかと思ったけれど
我に返って「行かない方がいい」)
幸運なことに、相手は小康状態だったらしい。
「1時間くらい、ロビーで話した。
ずっとあのいつもの調子で喋ってたよ」
「・・・サービスしてくれたのね」
家族も苦笑して頷いた。
その後まもなく訃報が届いた。
「今だけさよなら」というタイトルで
その人のことをいつか書こうと思っていた。
訃報を聞いて浮かんだのが、その言葉だった。
今度会ったら「その後どうしてましたか~」って
あのときの気分で聞いてみたい。
楽しい話が、きっと待っていると思う。
(2017年6月17日「眺めのいい部屋」より 2010年3月 タイトルのみ下書きファイルに)
ガチガチで、離せなくなるんですよ」
「・・・火炎ビンとか投げたりしました?」
「う~ん、そーゆー話はまあ置いといて(笑)
え~と、何科なんですか?」
「何科?」
「お医者さんなんでしょ?」
「ううん、私は医者じゃないの。
なれなかったんです。あ、でも
卒業だけはしたんですよ(ほとんどジョーク)」
「う~~~ん(クソ~)ぼくは2年で放り出された(笑)}
(周囲から「長崎だから」の声)
「あ、(かの有名な)長大方式の・・・
ヒドイ目に遭ったんですね。2年の終わりに単位がちょっと
足りないくらいでやめさせられるなんて」
「(うんうんと頷きながら、でもちょっとハズカシソウに)
ま、授業どころじゃなかったし、結局勉強なんてしなかったし」
「卒業したなんて偉いですよォ。偉い偉い、ほんとに」と
子どもに言うような、自分に言い聞かせるような口調で
繰り返しておられたのを思い出す。
35年ほど前のこと。
「家族の友人」程度の関係で
言葉を交わしたのも、このときだけ。
なのに・・・今も忘れられない。
ごく少数の「個人の集まり」として
市民運動をしていたグループの中で
家族はその人と知り合ったらしい。
当時の私は、精神科を出たり入ったり。
その人のことも、四方山話として聞くだけだった。
どんなイベントだったのか・・・
私も家族に連れられて
珍しく遠出した帰りのこと。
既に時刻も遅く、仲間同士で
飲みにいくことになったらしい。
小さな居酒屋が連なるほの暗い小路の一軒。
急な階段を上がって、天井の低い2階の小部屋。
数人で卓を囲んで、古い畳に坐って・・・
飲み会なんて学生時代以来。
一人で帰るという知恵もなかった私は
言われるままにその場に坐って
周囲の話を聞いていた。
みんな学生時代のことを
わいわい話していたけれど・・・
カリカリに細い長身。
キラキラした大きな目が
歯切れのいい口調以上にモノを言ってる。
その人のサービス精神に富んだ
明るい喋り方を聞いていると
学生運動も市民運動も、なんだかとても
「わくわく楽しいこと」のように聞こえた。
上の会話は、その途中に
偶然挟まったものだった。
その後、私はそういう場へ
出向くことは無くなったけれど
「奥さんは来ないのかって訊かれた。
残念そうな顔してたよ」と家族は言った。
その後、家族も私も高知を離れ
あちこちを転々とした後
もう一度高知に戻ってきた。
Nさんは、ちょっと離れた町で
ある病院の事務長をしていると
久しぶりに会った家族から聞いた。
「事務長ってのは、もう何だってやる。
トイレが詰まったのも、ヤクザとの交渉も」
なんて話を聞くと、「あはは、変わってないんだ」
勝手にそんな風に感じて、私はなんだか嬉しかった。
いつのことだったか・・・
突然、その人が入院していて
近々ホスピスに移るという話を聞いた。
家族も「しばらく会ってないから(事情がわからない)」と
迷いながら、お見舞いに行った。
(一瞬、一緒に行こうかと思ったけれど
我に返って「行かない方がいい」)
幸運なことに、相手は小康状態だったらしい。
「1時間くらい、ロビーで話した。
ずっとあのいつもの調子で喋ってたよ」
「・・・サービスしてくれたのね」
家族も苦笑して頷いた。
その後まもなく訃報が届いた。
「今だけさよなら」というタイトルで
その人のことをいつか書こうと思っていた。
訃報を聞いて浮かんだのが、その言葉だった。
今度会ったら「その後どうしてましたか~」って
あのときの気分で聞いてみたい。
楽しい話が、きっと待っていると思う。
(2017年6月17日「眺めのいい部屋」より 2010年3月 タイトルのみ下書きファイルに)