祖父は雷が好きだった。
夏の夕方、急に空が暗くなって
遠くでゴロゴロ・・・という音が聞こえると
祖父はいつも居る蔵座敷から出てきて
入り口の石段に腰掛けて、空を見上げた。
姉が小学校に入ったばかりの頃だったと思う。
姉は友だちが遊びに来ていて、突然鳴り出した雷鳴に
母屋の階段を上がったり下りたり
2人できゃあきゃあ騒いでいた。
祖母は夕飯の支度で忙しそうだったけれど
何かの用で顔を出した際には
孫たちの様子に、ちょっと微笑んでいたような気がする。
4歳の私は、姉たちについて
走り回ることが出来なかったのだろう。
「置いていかれた」所在なさで、そのとき私は
蔵の入り口の祖父に気がついたのだと思う。
祖父は煙草に火をつけていた。
祖父がいつも吸っていた「しんせい」という名の煙草だった。
雷の音が少しずつ近づいてきて
稲光で一瞬、辺りはとても明るくなった。
祖父は悠々と(と私の眼には映った)煙草を吹かしている。
雷がもの凄く大きな音で
真上から落っこちてくるような衝撃があると
祖父は言った。
「今のはどっか、近くに落ちたな」
怖がりなクセにヤセ我慢したがる私は、もう必死で
祖父とガマン比べをしているような心境だった。
いつまで続くんだろ・・・と震える思いでいた私の方を
祖父は全然、気にも留めていないように見えた。
どーなることかと思っていたけれど
実際はごく僅かの時間だったのだろう。
祖父はまだ煙草を全部吸い終わらないうちに
大事そうに火を消した。
途端に辺りは静かになって、雨が降り始めた。
「雨になったらもう終いじゃ」
祖父はまた、蔵の中に戻って行った。
雨の音と水の匂いが段々強くなる庭を見ながら
私はなんだか、途方に暮れていたような気がする。
・・・たったそれだけの記憶が
今も私の頭から消えない。
それは私たちの両親が、祖父の医院を引き継ぐために
母の故郷である山間部の田舎町に引っ越してきた
その翌年のことだった。
優しかった祖母と違って
祖父には人を近づけないような雰囲気があった。
「怖がり」の私は、「怖い」祖父が苦手だった。
それでも、たまにしか会わない父方の祖父や伯父のように
「近くに来られるだけで泣き出す」ほどではなかったのだろう。
1年間の同居の間に、少しは慣れていたのかもしれない。
とにかく、私は自分から近づいて
祖父の隣に腰掛けて、一緒に雷が鳴るのを見た。
私の眼には今でも
あの時の祖父の横顔が浮かぶ。
祖父については何も知らなかった。
周囲の人に尊敬されて、ちょっと怖がられてる「年寄りセンセ」。
私が知っていたのはそれだけだった。
私生児で、富裕な生まれの実の母親からあっさり手放され
生家とのつき合いも若い頃に断絶し
養家の危機に際して、自分の希望とはかけ離れた職業に就いた人・・・
といったことを知るようになったのは
ずっと後のことになる。
それなのに、子どもの私の眼にも
祖父の横顔は何かを語っているように見えたのだろう。
ただ、4歳の子どもにはそれを表現する言葉がなかった。
今となると、母の故郷にいたほんの7年ほどの間に
私は子どもとしてはあまり有難くない経験を
自分がしたのだろうと思っている。
(祖父は私が心底憎んだ初めての人になってしまった。)
それでも・・・
後年、私は「孤独」という文字を眼にすると
雷の中に一緒に坐っていた、あの時の祖父の横顔が浮かんだ。
「孤独」なんて、随分キハズカシイ言葉・・・
なあんて思っていた生意気盛りの若い頃でさえ
祖父の横顔の記憶は変わらなかった。
人の感情、人の想いというのが
そう単純なものじゃあないことを
雷の音を聞くたびに、今でも私はふと思い出す。
夏の夕方、急に空が暗くなって
遠くでゴロゴロ・・・という音が聞こえると
祖父はいつも居る蔵座敷から出てきて
入り口の石段に腰掛けて、空を見上げた。
姉が小学校に入ったばかりの頃だったと思う。
姉は友だちが遊びに来ていて、突然鳴り出した雷鳴に
母屋の階段を上がったり下りたり
2人できゃあきゃあ騒いでいた。
祖母は夕飯の支度で忙しそうだったけれど
何かの用で顔を出した際には
孫たちの様子に、ちょっと微笑んでいたような気がする。
4歳の私は、姉たちについて
走り回ることが出来なかったのだろう。
「置いていかれた」所在なさで、そのとき私は
蔵の入り口の祖父に気がついたのだと思う。
祖父は煙草に火をつけていた。
祖父がいつも吸っていた「しんせい」という名の煙草だった。
雷の音が少しずつ近づいてきて
稲光で一瞬、辺りはとても明るくなった。
祖父は悠々と(と私の眼には映った)煙草を吹かしている。
雷がもの凄く大きな音で
真上から落っこちてくるような衝撃があると
祖父は言った。
「今のはどっか、近くに落ちたな」
怖がりなクセにヤセ我慢したがる私は、もう必死で
祖父とガマン比べをしているような心境だった。
いつまで続くんだろ・・・と震える思いでいた私の方を
祖父は全然、気にも留めていないように見えた。
どーなることかと思っていたけれど
実際はごく僅かの時間だったのだろう。
祖父はまだ煙草を全部吸い終わらないうちに
大事そうに火を消した。
途端に辺りは静かになって、雨が降り始めた。
「雨になったらもう終いじゃ」
祖父はまた、蔵の中に戻って行った。
雨の音と水の匂いが段々強くなる庭を見ながら
私はなんだか、途方に暮れていたような気がする。
・・・たったそれだけの記憶が
今も私の頭から消えない。
それは私たちの両親が、祖父の医院を引き継ぐために
母の故郷である山間部の田舎町に引っ越してきた
その翌年のことだった。
優しかった祖母と違って
祖父には人を近づけないような雰囲気があった。
「怖がり」の私は、「怖い」祖父が苦手だった。
それでも、たまにしか会わない父方の祖父や伯父のように
「近くに来られるだけで泣き出す」ほどではなかったのだろう。
1年間の同居の間に、少しは慣れていたのかもしれない。
とにかく、私は自分から近づいて
祖父の隣に腰掛けて、一緒に雷が鳴るのを見た。
私の眼には今でも
あの時の祖父の横顔が浮かぶ。
祖父については何も知らなかった。
周囲の人に尊敬されて、ちょっと怖がられてる「年寄りセンセ」。
私が知っていたのはそれだけだった。
私生児で、富裕な生まれの実の母親からあっさり手放され
生家とのつき合いも若い頃に断絶し
養家の危機に際して、自分の希望とはかけ離れた職業に就いた人・・・
といったことを知るようになったのは
ずっと後のことになる。
それなのに、子どもの私の眼にも
祖父の横顔は何かを語っているように見えたのだろう。
ただ、4歳の子どもにはそれを表現する言葉がなかった。
今となると、母の故郷にいたほんの7年ほどの間に
私は子どもとしてはあまり有難くない経験を
自分がしたのだろうと思っている。
(祖父は私が心底憎んだ初めての人になってしまった。)
それでも・・・
後年、私は「孤独」という文字を眼にすると
雷の中に一緒に坐っていた、あの時の祖父の横顔が浮かんだ。
「孤独」なんて、随分キハズカシイ言葉・・・
なあんて思っていた生意気盛りの若い頃でさえ
祖父の横顔の記憶は変わらなかった。
人の感情、人の想いというのが
そう単純なものじゃあないことを
雷の音を聞くたびに、今でも私はふと思い出す。