『君戀しやと、呟けど。。。』

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『狂い咲き』  (小題:はじまり&おわり)

2014-04-29 17:57:27 | ニコタ創作
カテゴリー;Novel


4月自作/『狂い咲き』



 始まりは瑣末な症状の一つだった。
 還暦という年齢を遥かに越えた母は、
『これも年のせいかしらね』
 というのが口癖のようになっていて、娘とはいってもすでに結婚し子どももいる藤子も気をつけてね、と返すだけが恒例のようになっていた。
 その母が話があると電話をしてきたのは、その年の年末年始の支度を始めようかという頃だった。

 当時、テレビのワイドショーで流行っていた薬害の病名を母から聞くことになろうとは思わなかった。
 ウィルスという単語に敏感になり、母の病院通いが始まった。それから十年以上の歳月を闘病し、母は逝った。

 昨今のネット社会、調べようと思えばかなり詳しいことまで調べられる。でもどんなに調べても、医師がいなければ何一つできることはない、という虚しさがついてまわる。話を聞くしかできなくなった藤子は、自分の不甲斐無さを責める思いばかりが募っていった。
 しかし母とは素晴らしいもので、そんな藤子の思いすらあっさりと見破って、
『気にしちゃ駄目よ』
 と声をかけてくれる。
 最後に見舞いに行った時も、いつもと何も変わらずに、
『早く帰りなさい』
 と母として娘を心配したのだった――。

 兄がいろいろ仕切っているなかで、一つだけ探し物が見つからないというものがあった。
「ね、お母さんの使ってた鍵を貸して欲しいんだけど」
 二世帯住宅のため、来るたびに二階から下りてきて玄関の鍵を開けるのは大変だろうと思ったからの提案だった。暫くは通わないとならないしね。
 義理の姉にもそんな話をしていると、実はね、と二人が困った顔をする。
「どうしたの?」
「実は、お母さんの使ってた鍵が見つかってないんだよ」

 それから、みんなで荷物の整理も兼ねて大捜索が始まった。最後に病院を出た時の荷物はまとめてある。洗濯物は藤子が持ち帰り、貴重品の入ったバッグは叔父が運んでくれた。
 その全てをひっくり返し、ひとつずつみんなの目で確認する。
「ないね」
 もう探すところがない、となって思わず声に出てしまった。

 鍵が見つからないという事実が、みんなを途方に暮れさせた。
「毎週、来ることになるから、少しずつ探してみるね」
 藤子はそうとしか言えないし、みんなも首肯するしかなかった。それほど疲れていたから。

 やがて七日ごとの読経が一回ずつ減っていき、四十九日忌の予定を立てないとならないという話になっていった。
「あっという間に過ぎていっちゃうんだね」
 お参りに来てくれていた叔父に思わず零してしまう。いろいろやることが多すぎて、悲しみに浸る時間も持てていない藤子にはまだ母を亡くした実感がない。

 墓標を刻み、位牌が届き、どんどん母の存在が仏に近づいてゆく。もともとあった仏壇には、精根入れされた母の戒名の書かれた位牌が入ることになる。
 母の選んだ互助会は、近所だったこともあり多くの人が葬送してくれて困ることなく進んでいった。流れ作業のように一つずつ終わっていく。
 誰にも迷惑かけることなく逝ってしまった母が、唯一私たちを悩ませているのが鍵の在りかである。

 そして日にちは過ぎてゆく。
 次の日曜に法要があるという水曜日、やっぱり気になってしまうので鍵を探す為に実家を訪れた。
 着いてみると、このところの忙しさに少し休みたいと兄も早めに帰宅していた。
「鍵をね、探そうかと思って」
 藤子の言葉に、兄も一緒に探すからと母の部屋に入ってきた。

「しっかし、どこにいったんだろうな」
 最早、探すところなど何処にもないのだと言いたいのだろう。その思いは藤子も同じだ。それでも、四十九日の前にどうしても見つけてしまいたかった。
「もし見つからなかったら鍵を取り替えるよ。だからそんなに気にするな」
 そんな兄の言葉に少しだけ救われて、最初から探してみようかと母のバッグを兄に渡す。そして次に見るべき大き目の手提げ鞄に手を伸ばした。
 刹那、兄が小さく呟いた。
「何?」
「在った」
「えっ!?」

 兄の手に、見慣れた母の値付けのついた鍵が在った。
「嘘」
「何が起こっていたのやら」
 兄が、義姉に声をかけ彼女も急いで下りてくる。

 あんなに探したのに。
 みんなでそのバッグも何度も見たのに。

「人は四十九日までは、あっちこっち遊んでるっていうからさ。母さん、自分で鍵持って出歩いてたのかもな」
 兄が少しだけ戯けたようにそう言うと、値付けを外し藤子に渡してくれた。
「お母さん……」
 値付けについた小さな鈴が、ちりんと微かに耳に響いた――。

 その後、主な予定が済んだ頃になって義姉から連絡があった。ともかく来てほしいと。
 何事かと思いつつ行ってみると、玄関前を見ただけで理解し目を瞠った。

「これ……」
 母の作っていた花壇のことは正直、忘れていた。あれから何度も来ていたのに、これまで花がどうなっていたのか思い出せない。
 でも今は、はっきり目に飛び込んできた。
「すごいでしょ」
 きっと車の音で来たことに気付いたのだろう。義姉が玄関を開けて出てくると、何も言わずに立ち尽くしていた藤子に向かって声をかけてくる。

 本当に。
 それもこんなに大きくなって。

「亡くなる前に種を蒔いていたのは知っていたの。でも入退院のくり返しや葬儀とかで、すっかり忘れてしまってお水もあげてなかったのよ」
 最近蕾をつけた花に気付き水をあげるようになったと言うが、咲くとは思っていなかったそうだ。
 それもそうだろう。
「これ、秋明菊でしょ」
 季節がまるで違う。春に咲く花じゃない。あとで出てきた兄が言う。
「こういうのが狂い咲きっていうのかな。ま、人の生き死にには不思議なことが付き纏うってことだ」

 折角だからと花を切って、仏壇に供えた。まさか自分の蒔いた花が供えられるとは思ってもみなかっただろう。
 これからも、きっと不思議なことは起こる。そんな時、私たちはきっと母の仕業だねと語りながら笑い合う。

 死は全ての終わり。そう思っていた。
 でも違うのかもしれない。人の思いのなかで、母はこれからも生きていくのだと。それが供養する、ということかもしれないと思えるようになった――。

【了】 著 作:紫 草 
 
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