*このお話は今週のお題・別館サークル【みち】 ~道傍苦李~ の続編です。
「私、愛澤磨矢です」
彼は、知ってるよと笑ってくれた――
そんな始まりだった。
彼、芦谷悠斗が祖母にあたる芦谷倫子と共に、私の人生初の友達になってくれた。
知らないうちに他人を寄せ付けなかった私を、いともたやすく友達と呼んでしまった二人は最上級の強者だ。
そして私は大学を卒業し、小さな会社の事務に就職した。気付けば、色々な言い訳をつけて悠斗の荷物が増えていった。一年後、彼も就職し、社会人一年生と二年生は只管忙しくすれ違いばかりの生活になる筈だった。
そんな時に、終電がなくなったとかで転がり込んできたのは、悠斗。そして居ついた、まるで小さな猫のように。
つきあってるわけじゃないんだけれどな…
「何してんの」
古い平屋の一軒家を借りて暮らしていた。南に回ると、そこそこの庭がある。
バケツに水を張り、運んでくると部屋から顔を出した悠斗に、声をかけられた。
「花火。掃除してたら、残ってたのを見つけたから」
「いいね。俺もやる」
手には、かなりの数の線香花火だけがあった。
「磨矢って、花火好きだよね」
手には線香花火。風に揺られ、ゆらゆら、ゆらゆら。
「うわ、やばっ」
刹那、悠斗の手にある花火から火玉がぽとりと落ちた。
私もやばい。
涙が落ちそう。
「あ~ 落ちちゃったよ。線香花火ってさ、火玉が落ちる瞬間がいいとも思えるし、最後まで咲かせきっちゃうほうがいいとも思えるし、奥が深いよね」
次の花火に火を灯しながら、悠斗はそんな話をする。
悠斗は、どうして此処にきたのだろう。もしかしたら、嫌な思いをさせてしまったこともあるのかもしれない。私は不器用だから楽しいと思えることも、面白いと思うことも何もない。
でも気付くことはできる。
少しずつ悠斗のものが消えてゆく。本やジャケット、よくつけていたネックレスも見なくなった。
きっと、もうすぐ出ていく。優しい人だから、私を傷つけるような言葉は使わずに、でもやっぱり悲しい。
「また落ちた~」
その声に、慌てて顔をあげた。
「へたくそ」
そんな言葉が出るようになったのも、悠斗のお蔭なんだ…
もう充分よね。もしその日がきても、いつもと同じようにいってらっしゃいって言えばいい。
そうすれば、いつか帰ってくるかもって思える。
「いや、そうでもないよ。何かコツ見つけたっぽい」
悠斗がそう言って線香花火を取る。
蝋燭から火を灯す。
一瞬、大きく火花が散って次第に火玉となってゆく。
赤か、黄色か、それとも白か。
四方に花火が咲き誇る。
悠斗の手にある線香花火は、ゆらゆらゆらゆら揺れながらまだ火玉を残している。
「ほら。小さくなる」
潜めた声は耳元に響いた。
そして…
「消えた」
その様子を覚えていたくて、今日はもうやめようと言った。悠斗も満足したのか、残りを袋に戻している。
咲き誇り、咲き切った線香花火は綺麗だった。
「磨矢、明日何時?」
バケツを返しに言った悠斗の声だけが聞こえてきた。
「午前七時起き~」
分かったという返事も声だけだった。
それから暫く経ったある日の朝。悠斗が暫く帰れないから、と大きなバッグに着替えを入れていた。
いよいよだ。
私はお腹に力を入れて、笑顔を作る。
「気をつけて」
そして、いってらっしゃいとその背を見送った。
呆気なかったな。
悠斗と知り合って二年余り、それでもいっぱい思い出をもらったからちゃんと立っていられる。
彼は恋とは思っていなかっただろうけれど、私にはちゃんと恋だった。それも初めての。
悠斗がいなくなって、一週間が過ぎた。
一人分の食事を作るという作業に、なかなか慣れなくてつい作り過ぎてしまう。最近のスーパーは野菜や肉も少ない分量で売っているものの、作る段になって材料を二人分入れてしまえば出来上がりは二人分だ。翌日に残せるものならいいけれど、その日の内に食べてしまうようなものだと厄介なんだよね。
そして今夜も、つい餡かけ豆腐を作り過ぎてしまった。
どうしようもないな。
そんなことを思っていると、玄関で音がした。
何だろうと思って出て行くと、悠斗がいた。
「ただいま。腹減った~」
そこまでまとめて言い放つと、奥の部屋に歩いていく。
「ちょっと待って。悠斗、どうしたの」
出て行ったのに、こんな調子で来られては叶わない。
「あれ、お茶碗がない」
悠斗は私の声など聞こえないように、台所から自分の茶碗と箸を持ってくる。
「これ、食べてもいい?」
そう聞いてきたのは、豆腐丸ごと一丁使った餡かけだ。他にも、野菜ばかりが並んでいる。
「お肉、食べる?」
私は諦めて、尋ねた。
「うん。お魚ばっかりだったから飽きた」
どこに行っていたのだろう。
そうは思ったものの、今は何も考えずおろし焼肉を作り始める。
「磨矢。俺って振られたの?」
知らないうちに台所に入ってきていた悠斗に気付かなかった。
思わず振り返り、顔を見る。
振った。誰が、誰を。
「え?」
何を言っているんだろう。出ていったのは、貴男の方なのに…
「磨矢んちに引っ越すって、実家に行って話してきたんだ」
悠斗は学校に近いからと、倫子さんの家に入り浸ってた。けれど、本当はアパートを借りて住んでいたのだ。つい一週間前までは、ここで半同居していたし。
実家は港町に近い松阪だといっていた。
そこに行ってたというの。
「ほら選挙あるとさ、アパートに配達されちゃうでしょ。他にも郵便物はくるし。もうこっちに住民票移そうと思ったんだけど、振られちゃったの?」
そんなわけない。
私の方が振られたのだと思っていた。
でも、何一つ言葉にならない。涙だけが頬を一筋伝った。
「今さらな感じだけど、ちゃんと言わないと通じないよね」
ごめん、と言いながら抱きしめてくれた。そこで彼のお腹の虫がなく。思わず二人して爆笑した。
「今、作るから」
それから、いっぱい話をした。
これまでのこと、そしてこれからのことも
「この前、線香花火したでしょ。あの時、ずっと一緒にいたいって思ったんだ」
ひとつずつ、全部答えるからと言われた。何が誤解させる行動につながるのか、ちゃんと知っておこうと言って。
本は、単純に読み終わったから古本屋に売りに行ったらしい。ジャケットは使わなくなるからクリーニングに出した。
そして、実家近くの研究所に出張で行くことになり、どうせならホテル代を浮かそうと実家に帰ったと。大きなバッグに着替えを大量に入れたのは、自分で洗濯をする時間がないかもしれないと思ったからだそうだ。ネックレスは洗面所に残ってた。背が低いから見えないだけで。
そこで、ばあちゃんから電話が入ってさ、と思いだし笑いをする。
「両親にプロポーズはしてないけど一緒に暮らしてるって言ったら、母ちゃんに小突かれたよ」
分かってしまえば、何と分かり易いことだったろう。恋は疑心暗鬼を生ずる。
「だからさ」
と悠斗は続ける。アパートを引き払ってもいいかと。
もう答えなど聞かなくても分かっているだろうに。
「また一緒に花火、しようね」
カテゴリー;Novel
「私、愛澤磨矢です」
彼は、知ってるよと笑ってくれた――
そんな始まりだった。
彼、芦谷悠斗が祖母にあたる芦谷倫子と共に、私の人生初の友達になってくれた。
知らないうちに他人を寄せ付けなかった私を、いともたやすく友達と呼んでしまった二人は最上級の強者だ。
そして私は大学を卒業し、小さな会社の事務に就職した。気付けば、色々な言い訳をつけて悠斗の荷物が増えていった。一年後、彼も就職し、社会人一年生と二年生は只管忙しくすれ違いばかりの生活になる筈だった。
そんな時に、終電がなくなったとかで転がり込んできたのは、悠斗。そして居ついた、まるで小さな猫のように。
つきあってるわけじゃないんだけれどな…
「何してんの」
古い平屋の一軒家を借りて暮らしていた。南に回ると、そこそこの庭がある。
バケツに水を張り、運んでくると部屋から顔を出した悠斗に、声をかけられた。
「花火。掃除してたら、残ってたのを見つけたから」
「いいね。俺もやる」
手には、かなりの数の線香花火だけがあった。
「磨矢って、花火好きだよね」
手には線香花火。風に揺られ、ゆらゆら、ゆらゆら。
「うわ、やばっ」
刹那、悠斗の手にある花火から火玉がぽとりと落ちた。
私もやばい。
涙が落ちそう。
「あ~ 落ちちゃったよ。線香花火ってさ、火玉が落ちる瞬間がいいとも思えるし、最後まで咲かせきっちゃうほうがいいとも思えるし、奥が深いよね」
次の花火に火を灯しながら、悠斗はそんな話をする。
悠斗は、どうして此処にきたのだろう。もしかしたら、嫌な思いをさせてしまったこともあるのかもしれない。私は不器用だから楽しいと思えることも、面白いと思うことも何もない。
でも気付くことはできる。
少しずつ悠斗のものが消えてゆく。本やジャケット、よくつけていたネックレスも見なくなった。
きっと、もうすぐ出ていく。優しい人だから、私を傷つけるような言葉は使わずに、でもやっぱり悲しい。
「また落ちた~」
その声に、慌てて顔をあげた。
「へたくそ」
そんな言葉が出るようになったのも、悠斗のお蔭なんだ…
もう充分よね。もしその日がきても、いつもと同じようにいってらっしゃいって言えばいい。
そうすれば、いつか帰ってくるかもって思える。
「いや、そうでもないよ。何かコツ見つけたっぽい」
悠斗がそう言って線香花火を取る。
蝋燭から火を灯す。
一瞬、大きく火花が散って次第に火玉となってゆく。
赤か、黄色か、それとも白か。
四方に花火が咲き誇る。
悠斗の手にある線香花火は、ゆらゆらゆらゆら揺れながらまだ火玉を残している。
「ほら。小さくなる」
潜めた声は耳元に響いた。
そして…
「消えた」
その様子を覚えていたくて、今日はもうやめようと言った。悠斗も満足したのか、残りを袋に戻している。
咲き誇り、咲き切った線香花火は綺麗だった。
「磨矢、明日何時?」
バケツを返しに言った悠斗の声だけが聞こえてきた。
「午前七時起き~」
分かったという返事も声だけだった。
それから暫く経ったある日の朝。悠斗が暫く帰れないから、と大きなバッグに着替えを入れていた。
いよいよだ。
私はお腹に力を入れて、笑顔を作る。
「気をつけて」
そして、いってらっしゃいとその背を見送った。
呆気なかったな。
悠斗と知り合って二年余り、それでもいっぱい思い出をもらったからちゃんと立っていられる。
彼は恋とは思っていなかっただろうけれど、私にはちゃんと恋だった。それも初めての。
悠斗がいなくなって、一週間が過ぎた。
一人分の食事を作るという作業に、なかなか慣れなくてつい作り過ぎてしまう。最近のスーパーは野菜や肉も少ない分量で売っているものの、作る段になって材料を二人分入れてしまえば出来上がりは二人分だ。翌日に残せるものならいいけれど、その日の内に食べてしまうようなものだと厄介なんだよね。
そして今夜も、つい餡かけ豆腐を作り過ぎてしまった。
どうしようもないな。
そんなことを思っていると、玄関で音がした。
何だろうと思って出て行くと、悠斗がいた。
「ただいま。腹減った~」
そこまでまとめて言い放つと、奥の部屋に歩いていく。
「ちょっと待って。悠斗、どうしたの」
出て行ったのに、こんな調子で来られては叶わない。
「あれ、お茶碗がない」
悠斗は私の声など聞こえないように、台所から自分の茶碗と箸を持ってくる。
「これ、食べてもいい?」
そう聞いてきたのは、豆腐丸ごと一丁使った餡かけだ。他にも、野菜ばかりが並んでいる。
「お肉、食べる?」
私は諦めて、尋ねた。
「うん。お魚ばっかりだったから飽きた」
どこに行っていたのだろう。
そうは思ったものの、今は何も考えずおろし焼肉を作り始める。
「磨矢。俺って振られたの?」
知らないうちに台所に入ってきていた悠斗に気付かなかった。
思わず振り返り、顔を見る。
振った。誰が、誰を。
「え?」
何を言っているんだろう。出ていったのは、貴男の方なのに…
「磨矢んちに引っ越すって、実家に行って話してきたんだ」
悠斗は学校に近いからと、倫子さんの家に入り浸ってた。けれど、本当はアパートを借りて住んでいたのだ。つい一週間前までは、ここで半同居していたし。
実家は港町に近い松阪だといっていた。
そこに行ってたというの。
「ほら選挙あるとさ、アパートに配達されちゃうでしょ。他にも郵便物はくるし。もうこっちに住民票移そうと思ったんだけど、振られちゃったの?」
そんなわけない。
私の方が振られたのだと思っていた。
でも、何一つ言葉にならない。涙だけが頬を一筋伝った。
「今さらな感じだけど、ちゃんと言わないと通じないよね」
ごめん、と言いながら抱きしめてくれた。そこで彼のお腹の虫がなく。思わず二人して爆笑した。
「今、作るから」
それから、いっぱい話をした。
これまでのこと、そしてこれからのことも
「この前、線香花火したでしょ。あの時、ずっと一緒にいたいって思ったんだ」
ひとつずつ、全部答えるからと言われた。何が誤解させる行動につながるのか、ちゃんと知っておこうと言って。
本は、単純に読み終わったから古本屋に売りに行ったらしい。ジャケットは使わなくなるからクリーニングに出した。
そして、実家近くの研究所に出張で行くことになり、どうせならホテル代を浮かそうと実家に帰ったと。大きなバッグに着替えを大量に入れたのは、自分で洗濯をする時間がないかもしれないと思ったからだそうだ。ネックレスは洗面所に残ってた。背が低いから見えないだけで。
そこで、ばあちゃんから電話が入ってさ、と思いだし笑いをする。
「両親にプロポーズはしてないけど一緒に暮らしてるって言ったら、母ちゃんに小突かれたよ」
分かってしまえば、何と分かり易いことだったろう。恋は疑心暗鬼を生ずる。
「だからさ」
と悠斗は続ける。アパートを引き払ってもいいかと。
もう答えなど聞かなくても分かっているだろうに。
「また一緒に花火、しようね」
【了】 著 作:紫 草