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妻と歩いた雑踏する紅葉狩り、きっと生涯忘れない――。
昨年、合コンで知り合った時はやたらとハイテンションな女だなと思った。その後、偶然にも別のパーティで一緒になりそれが話すきっかけとなった。
そろそろ結婚しろと周りが煩くて、どうしようかと思っていた頃でもあり、まだ早いと逃げてはいたが彼女を見た時、その二文字が脳裡を過ぎった。
田嶋圭吾、三十二歳。長身だし、そこそこ年収もあるしイケメンとも言われる。そのため碌な女と巡り会えないまま結婚なんてどうでもいいと思ってしまうような情けない男だった。
『デートしようか』
と言ったら、すごく驚いていた。遊んでいるように見えたのに少し意外な感じがしたのを覚えている。
それから暫くして、結婚式を挙げたいと言われた。どんなプロポーズだよ、と思わず笑ってしまったっけ。
多くの女が結婚を仄めかしても、自分はいい女だと思わせたくてプロポーズを待っているという気配を押し付ける。途端に会うのが面倒になる。やがて自然消滅する。その繰り返し。
目の前の女は直球だった。それ以上に何か言葉に違和感がある。聞けば、少し前まで付き合っていた男が結婚すると連絡してきたらしい。そいつより先に式を挙げたいのだと正直に話した。
そこで切り捨てていたら、今の自分たちはいなかった。
気が向いただけでしょ、と言われたがそうじゃない。可愛いと思ったんだよ、本当に。信じてくれなかったけれど。
急なことだったから小さな教会での挙式だった。シンプルで呼ぶ人も少なくて有難かった。
普通、女は結婚式の写真とかを部屋に飾るものだと思っていたが彼女は置かなかった。もともと圭吾のマンションに引っ越してくる形になったから何でも好きにすればいいと言ったのに、写真は一枚もない。その代わり、小さなイラストが台所の壁にかけてある。
式と披露宴に呼ぶ友人はチェックした。類は友を呼ぶともいうし、彼女をよく知る人間だと思ったからだ。だがその中にこの小さな額縁を選ぶような友人はいないように感じた。
だからこそ聞いてみた、誰からの贈り物なのかを。すると大好きだった元同僚からの誕生日プレゼントだと教えてくれた――。
ここ暫く紗江子は様子が変だった。否、はっきり変だと言える程、一緒にいる時間は多くはなかったが。それでも自分なりにこの一年、見てきた彼女とは違う雰囲気を醸し出しているような気がする。
仕事の都合で深夜に呼び出されたり、海外からの電話は時間など関係なくかかってくるしで悪いなと思うことは多い。
でも正直どうにもならなかった。新婚旅行もまだだ。勿論それは承知してもらった上で結婚しているが、このところ食事も一緒にできてない。結婚という言葉だけで、何が変わったのかと思うほど生活は同じように過ぎていた。
漸くプロジェクトが一段落ついて、上司から家庭サービスをしろと休みをもらった。結婚して初めてというくらい早い時間の帰宅に、真っ暗な部屋に帰るのが本当に久しぶりだと気付く。何故なら彼女はどこにもいなかったから。
遊びに行っているのか、買い物に出ているのか。紗江子の行動を把握などしていない。
どうしたものかと思っていると家の電話が鳴る。以前、会ったことのある女からだった。何故番号を知っているのか尋ねると、大学時代の友の名を出された。何か用かと聞くと話をしたかっただけだという。だらだらと話す女に、結婚したんだからもうかけてくるなと言って切った。
その時の言葉に不穏なものを感じる。今日が初めてじゃなかったのだろうか。今、紗江子がいないことと何か関係があるのだろうか。
このままほっておくのはヤバい。嫌な予感がした。
【ただいま。今、何処にいる?】
打ち込んで送信する。
どちらかというと派手好きで自己中って感じの女だった。いつの間に変わったのだろう…。
分からない。忙しさを言い訳にするわけではないが、ろくに顔も見ていない。
その時、携帯が震えだす。
―お帰りなさい。
紗江子の声が弱々しいことに気付いた。
「今、どこ」
―秩父のね、浦山ダムってとこ。友達と紅葉狩りに来たの。
「ああ。今頃なら綺麗だろうな。なら、その友達も一緒に泊まってさ。明日は俺と紅葉見に行こう」
向こうで音はするもの、それが何かは判別できない。
「今から行くから場所メールして」
―いいの?
「何が」
―折角のお休みに私なんかと一緒にいてもいいの。
「何言ってんだか。やっともらった休みだから一緒にいるんだろ」
そして車で行くからと一旦携帯を切る。
その後旅館の名前とURL、地図が送られてきた。週末ではあったが思いの外道路が空いていたお蔭で、旅館に用意された夕食に間に合った。
そこにいたのは南條花音という紗江子と同い年の女性と、その恋人と紹介された三枝和紗というかなり若い男だった。
刹那、あのイラストの贈り主だと直感した。
人となりとか言葉遣いは全くタイプの違う二人だ。
紗江子もこういう友達を大事にすればいいんだと言うと、花音が首を横に振る。
「紗江子が私に連絡してきたのは田嶋さんに愛人がいるからです。私なら、どんなに泣き言を言っても田嶋さんを取られるとは思っていないから」
こちらも直球ストレート。更に視線は強かった。どういう意味だと問うと、彼女は自分の右腕は義肢なのだと答える。紗江子は隻腕の女を蔑んでいたということか。
それより愛人という言葉の方が気になる。
「愛人なんかいないよ」
「私に弁解は必要ありません。ただ浮気ではなく、ずっと不倫を続けるなら離婚を考えてあげて下さいね」
そこまで言い切られて、夕刻の電話を思い出す。
「もしかして変な女から電話あった?」
隣で体を固くした紗江子がいた。女の名を言うと即座に頷く。
やっぱり。
「あれ違うから。つきあってもいない。本当に浮気なんてしてない、っていうか。そんな暇あったら仕事してたよ」
驚くように顔をあげた紗江子が哀れに見えた。信じろって言いたくても、信じられるだけのものが何もなかった。
「ごめん。少しほっときすぎた」
何にも言わないからって夫失格だな。
その上で改めて、花音という友達は大切にした方がいいと話した。そして身障者を見る目を改めろとも。
泣きながら頷く紗江子の頭を撫でてやると、部屋を出ていってしまった。
「あ~あ。先輩、泣かしちゃった」
和紗という彼は前の会社の後輩で、あくまで引いて話を聞いているだけに見えたが実際は違うのだろう。
「もしかして紗江子って、花音さんを苛めてたとか」
「単純に苛められたら悩まなかったんじゃないですか。どこかで花音のことを認めていたから、苦しんだのかも。だからこそ今回、誰にも相手にされなくなったと連絡してきたんだと思います」
なのに最初は三枝君に会いたいと言ったらしい。
「明日は思い切り楽しませてあげて下さい。僕たちは別の所へ移りますから」
彼が気を使っているのが分かる。否、本当に恋人と二人で過ごしたいだけか。
戻ってきた紗江子を見た。
そこには新婚一年というには少し儚げに見える女がいた。その姿に一年前を思い出す。純白のウェディングドレスにストレートの黒髪が映えていて、すごく綺麗だった。
「明日は、二人きりでデートしような」
そして結婚式の写真を飾ればいいと言った。透かさず携帯にありますよ、と二人が教えてくれたのだった。
【了】 著 作:紫 草