つづき
混沌の如き静けさ夏の沼 めたもん
◯(ルカ)独特の空気感があります。
〇(珠子)村のあの静けさを「混沌の如き」と表したことに妙に共感しました。
◎(仙翁)混沌と静けさ、面白い対比でいいと思います。
○(アダー女)沼が良いですね。この濁った沼の底ではまだ無秩序に魑魅魍魎たちがうごめいているのかも。表面が静かであればあるほどおどろおどろしい。
初秋の団栗あまた青い粒 瞳人
片蔭に拾う旅人田舎バス あちゃこ
〇(楊子)バスの乗客を拾うという表現が、乗客の少なさを表しています。
〇(藤三彩)日に何便かのバス。逃すとただただ歩くことに
○(幹夫)「片蔭」が自然体で詠まれており共感です。「片蔭」を私は「片陰」と表記します。
○(仙翁)暑い夏、バス停は日影がいいですね。
○(餡子)手を挙げれば止まってくれる田舎のバス?のんびりとして微笑ましい。
◯(道人)日に二便くらいのコミュニティバス?上十二の措辞が巧い。
◎(ちせい)何を拾っていたのでしょう。田舎バスが廻る深山幽谷を思います。
(選外)(卯平)句全体としては景が見える面白い句。但し「拾ふ」が不明。句としては田舎を旅していた人がその地域の路線バスに乗ったと言う事であろう。「田舎バス」も報告的では。下五を推敲するとして「片蔭を拾ふ旅人」であれば地方の誰も通らない道を片蔭を探しつつ旅をしている姿が見える。
八朔の山河(やまかわ)つつがなくありぬ アネモネ
〇(珠子)この先もそうあってほしいと祈るばかりです。
紫蘇をもむ村で昔の雨のこと 宙虫
〇(楊子)梅仕事のときの会話が聞こえます。「むかし大水があってねえ」
◎(藤三彩)紫蘇のゆかりでも作っているのだろうか?お茶をする団らんが見える
◎(あちゃこ)写真からの発想が一段も二段も上手。風景の向こうに暮らしや人間を見ている視点が素晴らしい。いつかこんな句を詠んでみたいものです。
◎(珠子)この大雨で川が氾濫した昔の話をしながら紫蘇をもんでいるのでしょうか。今はダムが守ってくれるからこその昔話。独特の語り口です。
◎(めたもん)紫蘇をもみながら昔の大水のことを話すのは老人か。生活感とリアリティーがあります。
(選外)(道人)飛躍読みかも知れないがこの「話」は村の長老の媼が訥々と語る昔の大水害の話。今の水害に生かされたのだろうか。「で」は気になるが「紫蘇をもむ村」が補って余りある。
片蔭の消えて父呼ぶ母の声 ルカ
○(あちゃこ)日が陰りゆく夕方、父を呼ぶ母の声は、幼き日の幸せな記憶。
〇(珠子)「お父さん、昼ご飯よ。」という母の声が聞こえてくるようです。「片蔭の消えて」が何気なく効いています。
○(卯平)不思議な句。この父は既に黄泉の人だろう。その父へ母が呼びかけしているように詠み手は感じたのだろう。「片蔭の消え」に黄泉の世界への思いが読み取れる。但しこの「て」は推敲の余地があるであろう。
○(宙虫)ひなたとひかげのコントラストがノスタルジック。
貶め言わが身に返る夏柳 瞳人
○(あちゃこ)古風な言い回しが夏柳の風情に合っています。
「よそ者」と囃す川風盂蘭盆会 珠子
◎(楊子)お盆に帰省した子がすっかり都会の匂いのする子になっています。悪意のある「囃す」ではないでしょう。
○(あちゃこ)久方ぶりに帰った自分自身をよそ者と呼ぶ作者。親類縁者もなき帰郷なのだろうか。悔恨と寂しさが滲みます。
〇(瞳人)入っていけないのでしょうか
◎(あき子)だれも面と向かって言わないけど、「よそ者」のようなうしろめたさ。
◎(アダー女)最近は若い移住者を歓迎する地方が多いと聞きますが、未だによそ者なんて排他する地域もあるんでしょうか。盂蘭盆会の盆踊りのお囃子が川風にのって流れてきてきてそんなふうに聞こえるというところが上手い景色、表現だと思います。踊りの輪に入り溶け込むのも勇気いりそう。
◯(道人)離村した者の束の間の盆帰省は、川風にとっても「よそ者」とは辛いが納得。
◎(宙虫)言葉にされなくてもそういう空気感は確かにある。
夏旱気が気でならぬ貯水率 藤三彩
○(アネモネ)ほんとそうですよね。
ふる里は霊域の先蝉しぐれ 楊子
〇(珠子)霊域のそのもっと奥のふるさと。今年のお盆も墓参りにゆけないふるさと。
○(敏)古里はその霊域からの結界内にあるのでしょう。蝉たちにとっても次世代へ命をつなぐ神聖な場所なのでしょう。
〇(めたもん)離れてふる里を思うとき、確かにふる里は中七のように「霊域の先」にありますね。
〇(あき子)霊域の先のふる里? いろいろ想像が膨らみます。
◯(道人)「霊域の先」とは、最早人界ではない故郷。「蟬しぐれ」が切ない。
○(宙虫)しんとした感覚が伝わる。空気が一瞬で変わる場所がある。
金網の奥に汽水や涼新た 卯平
○(ちせい)汽水域に鯔が跳ねたのかもしれません。
一軒家修行始める青田かな ちせい
日盛りにため息ふたつ最徐行 まきえっと
○(泉)「ため息ふたつ」が良いと思います。
金網の向こうに逸り出水川 敏
○(アネモネ)リアル写真の景
笹舟を浮かべ時には暴れ川 餡子
〇(瞳人)すごい落差ですね
○(敏)祈りを乗せた笹舟も、ときには荒れ狂う川水に翻弄されることがあるのでしょう。
○(仙翁)線状降水帯、昔からの夕立ではなさそうですね。
○(アダー女)普段は子供らが笹舟を流して遊ぶ静かな川が、あっという間に豹変して暴れ川になるというニュースはここ数年増えましたね。地球温暖化の影響はいろいろな場面で自然の脅威となって我々に反省を求めているようです。
峰雲の常に山ある大和かな 泉
○(ちせい)大和三山や万葉集を思い出します。
八月の明日へ渡れぬ濁川 あちゃこ
◎(まきえっと)明日へ渡れぬが切ない。季語が八月なだけにいろいろと考えます。
◎(敏)近頃の線条降雨帯による水禍のニュースに触れるたびに、一句を思い出さずにはおれません。「明日へ渡れぬ」が強烈な印象です。
青と黄を混ぜれば地球緑さす 幹夫
○(卯平)青色と黄色を混ぜれば緑色になる。その緑の地球がこの句の眼目。更に念入りに「緑さす」。理の連続ではある。ただ「地球」の位置はこの句では捨てがたい。「緑さす」から得る季感をこの句では感じない。
七夕の竹の軽トラ町走る めたもん
◎(泉)昭和の風景。今でもあるかな。祭は良いものです。
◯(ルカ)七夕の竿竹に目をつけたところがユニーク。
○(幹夫)笹竹を売る商売があったような。ホームセンターが出来てか、この頃はとんと見かけない光景になりました。
〇(瞳人)竹、うりものなのでしょうか
○(餡子)竹林から伐って来たばっかりの笹を運んでいくところでしょうか。子供達の願いごとの短冊で溢れることでしょう。
○(仙翁)七夕の終わった竹の後始末でしょうかね。
〇(あき子)町の中心の商店街に、願い事が書かれた短冊が揺れている。軽トラが爽快
○(アダー女)軽トラはとんと見かけなくなりました。町であって街でないのが上手い。日本の原風景の一つ。
離村のひとの顔から消える晩夏光 宙虫
◯(ルカ)この季語のこういう使い方は初めて見ました。
〇(藤三彩)寂しくなりますね。過疎化をとおり超して限界集落とか・・
○(ちせい)別れは人を鍛えるのかもしれません。離村と言う定め。
字小字略し二行の水見舞 道人
〇(楊子)村一面水害にあったのでしょう。
○(アネモネ)いかにもいかにも笑
○(あちゃこ)水見舞と言う言葉を忘れていました。美しい日本語ですね。日本の風土が育てた言葉なのでしょう。
〇(あき子)二行でも、うれしい水見舞。
中干しの田に幾つかの足の跡 仙翁
◎(幹夫)種まきから85日目頃、夏の暑い盛りに田んぼの水を抜いて、土にヒビが入るまで乾かす作業を「中干し」と言う。リズム佳く詠まれていると思いました。
〇(めたもん)田んぼについた足跡って何か気になります。目の付け所にリアリティーがあります。
○(宙虫)田に足を踏み入れることなくなった自分にも心象風景がある。
伐らるるを待つ群竹や昏き道 アダー女
金網の固きスクラム月の秋 あき子
〇(まきえっと)金網の固さをスクラムとしたところがいいですね。
○(卯平)上五中七の発見はよくぞと共感する。「スクラム」の位置は納得。だからこそ下五「月の秋」は安易ではと観賞した。「月の秋」での例句は発見出来なかった。「月」が持つ強い季感があるから「春の月」や「夏の月」は成り立つのでは。だから「月の秋」では違和感を強くした。
今月の写真
熊本県甲佐町の甲佐ダム周辺の景色
小さなダム。この下流には鮎の簗場やキャンプ場がある。
広島はまだまだ暑い日々が続いていますが、秋の気配も感じられます。最近、私の知人が入院しました。思えば私も、いつ病気で入院しても不思議ではない年齢になった、と改めて思い知りました。しかし、これも自然の成り行きですから・・・。