YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

オーストリアの旅~即席ラーメンをご馳走になったが

2021-08-15 09:20:58 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△ボーデン湖(PFN)

・昭和43年8月15日(木)雨後晴れ(即席ラーメンをご馳走になったが)
 6時に起きた。車窓から外を見ると、列車は高い山間部を縫うように走っていた。いつInnsbruck(インスブルック)に停車したのか分らなかったが、いつのまにかTirol(チロル)地方を走っていた。列車の両側は3,000m以上の山々が幾重にも連なり、真夏なのに残雪もかなりあった。本当に車窓からの景色は最高で、私はその眺めに首っ丈であった。
 私と照井はリンダウ(西ドイツ領)の一つ手前の駅、オーストリアの最西端Bregenz(ブレゲンツ)で下車した。この町の近くにLake-Boden(ボーデン湖)があり、観光地化された町であった。
駅を出てユースが何処にあるのか分からなかったので、駅前の観光案内版を見ていた若者達にユースへの行き方を聞いたら、彼等は我々をユースホステル(青少年用宿泊所。通常「ユース」と使用)まで案内してくれた。彼等も同じホステラー(ユースの宿泊者)であったのだ。我々は疲れていたのでユースで少し睡眠を取ってから、街へ出掛ける事にした。
 その後、我々は散策に街へ出掛けた。又ボーデン湖へも行って見た。そこで、1時間16シリング”(224円)の手漕ぎボートを借りた。スイス側の向こうの岸まで30分で行けるかと思い、一生懸命ボートを漕いでみた。30分経ってやっと3分の1程度しか行けず、戻って来た。若しかしたら3分の1も行かれなかった、かも知れなかった。広い湖は全く距離感が分らないと改めて知った。
ボートで引き返す途中、夕日が山の向こうに沈みかける瞬間、湖は黄金色に染まった。何と素晴らしい光景であろうかと、私はシャッターを切る事を忘れなかった。
 ユースに戻り、9時頃になって照井はわざわざ日本から1ヶ月以上も持ち歩いていた取って置きの即席ラーメンを私に出してくれた。彼は、「こちらに来たら日本食が恋しくなるから」と言って幾つか持って来て、それを大事に取って置いていたのだ。その最後の2個が、『日清のサッポロ味噌ラーメンと駅前一番』であった。私も『日本の味』を忘れ掛けていて、日本食が恋しくて仕方なかった。そんな時期に照井は出してくれたので、本当に有り難かった。オーストリアのこんな所で即席ラーメンが食べられるなど、つい先程まで想像もしていなかった。
早速、ユース管理人に鍋を借りて料理に取り掛かった。照井が、「面倒だから」と言って、サッポッロ味噌と駅前一番を一緒に煮て、そしてかまわずに違った味の粉末スープを入れた。久し振りに食べるラーメンなので、『さぞかし旨いであろう』と思っていたが、味が余りにも変わってしまい旨くなく、我々はガッカリした。やはり異なるラーメンは、それぞれ別個に作るべきであった。本当に残念であったが、それでも全部食べてしまった。


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