・美術品の話
ギリシャは、アテネのみならず国中のあちこちに、又エーゲ海の島々や地中海のクレタ島に数多く遺跡があり、まさに遺跡と美術の宝庫なのだ。
それにも拘わらず、その方面の知識も関心も無く、私が尋ねたのは、アクロポリスの丘とアテネの国立博物館だけであった。興味、関心がある人にとっては、折角そこまで行ったのに、『勿体ない』と思うでしょう。しかし、私にとっては、『それらは猫に小判』なのだ。もっとこの国の歴史や美術を勉強しておけば良かった、とつくづく思った。
そんな私はアテネの国立博物館へ行ってた。古代の彫刻が主であり、中には幾つかの模写もあった。しかし、誰もが足を止める様な有名な物は無かった(私が知らないだけ)。
以下、私の独り言・・・
古代パルテノン神殿に飾ってあった数々の彫刻が、ロンドンの大英博物館に陳列されていたし、又ミロのヴィーナスを始め有名な彫刻がパリのルーブル博物館に飾られていた。
これらの美術品は、あるべき所に在ってこそ、その価値があると思うのだ。例えば、名古屋城の金の鯱鉾(シャチホコ)は、名古屋城天守閣の屋根の棟の両端に取り付けてあってこそ、その価値があるもので、それが又、『お城の美』でもあると思うのだ。それがルーブルや大英博物館で『金の鯱鉾』を見たって何の意味がないのだ。それと同じだと思うのだ。
イギリスやフランスは、それらギリシャの美術品を如何して手に入れたのか、不思議でたまらない。しかし、良く考えると不思議でも何でもないのかも。この世の中(世界)は、力のある国が武力によって、或は戦利品として他国の絵画、骨董品、彫刻等の美術品を掻き集め、自国の博物館に展示している。
極端かも知れないが、この様に掻き集められた美術品等はある意味に於いて、『博物館は美術品の墓場、美術品はただの陳列品』になってしまったと、この様に感じて来てしまった。
私は思うのだ。それらの美術品類は元々あるべき所にあってこそ、その存在意義があり、真の美が奏でるのだと。
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