・ギリシャの歴史の話
ギリシャ、アテネを理解する上で、その歴史を簡単に記しておく事にする。
アテネは、古代ギリシャの数あるポリス(都市国家)の中でも良好な港を持ち、エーゲ海を始め地中海の貿易、交通の拠点として富を築き栄えて来た。その繁栄の基に、紀元前776年古代オリンピック大会が行なわれるようになった。
紀元前5世紀に入るとエジプトからインドまで支配下に置いていたペルシャ大帝国の侵入を受け、ペルシャ戦争になった。アテネの兵士は果敢に戦った。特にマラトンの戦い、サラミスの海戦に於いて勝利をもたらした。
Marathon(マラトン)は、アテネの東北約40キロの所に位置した古戦場地で、ペルシャ軍が上陸したがアテネ軍が撃破した所なのだ。この戦いの勝利をアテネに知らせる為、使者が一気に40キロ程(42.195km)を走り続け、報告後絶命したとの事。現在のマラソン競技はここから始まった。
ペルシャ戦争でアテネを守り、守護神・アテナを祀るためアクロポリスにパルテノン神殿を建立した。アクロポリスは、アテネ王国の城砦で、絶壁の丘になっている為に要害堅固、外敵に備える城塞であった。
ここにアテネを中心に絢爛たる文明の華が咲き誇ったのだ。又、アテネの高い知性はソクラテス、プラトン、アリストテレス等の哲学者を生んだのであった。
紀元前431年~404年頃、アテネは同じギリシャの都市国家・スパルタに敗れ、ギリシャは群雄割拠に入るが、それによる各都市国家は疲弊し、マケドニアに侵入され、ギリシャは征服された。
ギリシャはその後、ローマ帝国、東ローマ帝国に征服され、特に15世紀から19世紀前半までの400年以上の長期に渡るトルコ帝国の支配下に置かれた。その古代の繁栄はすっかり失われ、ギリシャ全土は一層廃墟し、パルテノン神殿を始めアクロポリス周辺の遺跡は破壊された。
その後ギリシャは、トルコ帝国との独立戦争を経て、1832年立憲君主国として独立した。第一次世界大戦後の一時期、共和国と成ったが、1935年に王政に復した。
しかし、昨年(S42年)4月11日に軍事クーデターが起こり、現在ギリシャは『軍事政権』になっている。
ギリシャ、アテネを理解する上で、その歴史を簡単に記しておく事にする。
アテネは、古代ギリシャの数あるポリス(都市国家)の中でも良好な港を持ち、エーゲ海を始め地中海の貿易、交通の拠点として富を築き栄えて来た。その繁栄の基に、紀元前776年古代オリンピック大会が行なわれるようになった。
紀元前5世紀に入るとエジプトからインドまで支配下に置いていたペルシャ大帝国の侵入を受け、ペルシャ戦争になった。アテネの兵士は果敢に戦った。特にマラトンの戦い、サラミスの海戦に於いて勝利をもたらした。
Marathon(マラトン)は、アテネの東北約40キロの所に位置した古戦場地で、ペルシャ軍が上陸したがアテネ軍が撃破した所なのだ。この戦いの勝利をアテネに知らせる為、使者が一気に40キロ程(42.195km)を走り続け、報告後絶命したとの事。現在のマラソン競技はここから始まった。
ペルシャ戦争でアテネを守り、守護神・アテナを祀るためアクロポリスにパルテノン神殿を建立した。アクロポリスは、アテネ王国の城砦で、絶壁の丘になっている為に要害堅固、外敵に備える城塞であった。
ここにアテネを中心に絢爛たる文明の華が咲き誇ったのだ。又、アテネの高い知性はソクラテス、プラトン、アリストテレス等の哲学者を生んだのであった。
紀元前431年~404年頃、アテネは同じギリシャの都市国家・スパルタに敗れ、ギリシャは群雄割拠に入るが、それによる各都市国家は疲弊し、マケドニアに侵入され、ギリシャは征服された。
ギリシャはその後、ローマ帝国、東ローマ帝国に征服され、特に15世紀から19世紀前半までの400年以上の長期に渡るトルコ帝国の支配下に置かれた。その古代の繁栄はすっかり失われ、ギリシャ全土は一層廃墟し、パルテノン神殿を始めアクロポリス周辺の遺跡は破壊された。
その後ギリシャは、トルコ帝国との独立戦争を経て、1832年立憲君主国として独立した。第一次世界大戦後の一時期、共和国と成ったが、1935年に王政に復した。
しかし、昨年(S42年)4月11日に軍事クーデターが起こり、現在ギリシャは『軍事政権』になっている。
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