愛媛県大洲市河辺町の今

ど田舎だけど町おこしできたらなーって思いまして。独断で勝手に河辺町の日常を綴って行きます。

ゴーの神様の由来

2016年01月07日 | 伝説
今回は河辺の伝説を書いてみようと思う。
以前、用の山の鳥の神様を紹介したと思う。その話です。


でもの腫れ物必ず治る~
この神様はその昔、ご自身で「出もの・腫れ物」に悩まされ、
とうとうその病気で亡くなったという。
死ねる前に「この病気ほどつらい病はない。今後においてこの病気に苦しむ人があったらわが一心をもって治してやる。その代わりに全快したあかつきには、お礼に《ニワトリを供えよ》」と言うたという。

この死んだ人が旅人なのか、土地の人なのか、わからない。
そしてそのお墓も伝えがない。現在のお宮は、墓としてはうなずけないように思う。

さて、その後、世の中には、できもの・腫れ物に悩む人は多いが、「お願」をかけた人は見事に治った、というから不思議である。
近郷に聞こえて遠方からお礼の鶏を風呂敷に包んだり、と言っても生きた鶏だから頭だけは出して脇に抱えてきたり、両足を縛って持ってくる人が多く、このお宮付近には、あちらでもこちらでも鶏がいて“ケッケコッコ”となき合うて、賑やかな光景が続いていたという。

鶏のしまつは頭の黒い二ツ足がする
こうして本物の鶏をお供えするのは、大正年間から昭和の初めごろまで続いたという。
本物の鶏をお供えするのは終戦前ごろまでは時折あったが、その頃から画像をお供えするようになったという。
いま、ゴーの神の社に上ってみると、前の戸にもケタにも壁にも、鶏の絵がいっぱい貼り付けてあった。(この間行った時にはそうでもなかったような?)

さて、話はもうひとつある。
それはいつの時代か、鶏が大分集まっっている頃のことである。
どうせ犬かキツネがとるのだからと言うので、頭の黒い二ツ足の連中が‘こっそり’泣かさんように、つらまえてきては、“よりやいこ”をすることがあったという。

この話を聞いた某の若い連中がお宮へ行ってみると、お宮の屋根にも、垂れた木の枝にも鶏が七・八羽もいたという。
屋根のをとるのがやすいと言うので、一人が屋根に登るとタル木が“メリメリドタン”とおれ、うち1人がほろけ落ちて「あばらの骨」を三枚も折ってしまった、という神罰てきめんの話もあるらしい。
(山本さん栄野さん談)

あー眠くなった。昔話は眠くなるー。
河辺村誌の中の「第四章、伝説」よりほぼそのまま抜粋しましたー。

要約すると、ある人が、デキモノで苦しんで亡くなった。
その時、皆がこんな思いをしないよう、必ず治す約束をした。。見返りは鶏。
その鶏には天罰付き。代償はあばらの骨三本。

…鶏好きなんだね。途中から絵や置物になっちゃったけれど、それはかまんのかな?
元は思いっきり人間。それでご利益あるってよっぽどしんどかったんだねー。
拝みに行ったらオロナインが出てきたら笑えるな。
社から“にゅっ”と出た手のひらの上にオロナイン!
皮膚疾患には取り敢えずオロナインだったなー。
ナムナム。ニキビにも効くかしら?うちの子のニキビ…試してみるかなー(^∇^)🎶実ー験!