日前(ひのくま)神宮と國懸(くにかかす)神宮と読む。
この両社は、少し特別な神宮である。まずかつては神階がなかった。神階とは、朝廷がその社の格を定めたもので、全神社に付けられているが、伊勢神宮にはこれがない。そして神階がないのは、伊勢神宮を除いてはこの2社だけである。どうゆうことだろうか?
次にこの両社、和歌山市の中心部に隣り合って建てられている。どんな状態で隣接しているのだろうか、主祭と摂社の関係ではないとしたらどうゆう関係なのか、長い間知りたいと思っていたが、考えているだけではわからない、行ってみることにした。
国道24号線バイパスを一路西に向かうと、2時間ほどで和歌山市に着く。目的地はすぐに見つかった。
入口には一つの鳥居しかない。
そこを歩いて抜けて真っ直ぐ進むと突き当たりで、左右に道が分かれている。T字路の状態だ。
まず左側の日前神宮に行く。
清楚な社殿だが、現在の社殿は大正時代に一新されており、この時に両社はほぼ対照になったと言われている。
國懸神社だ。全く同じに見える。
ではその前はどうだったのか、これが僕の知りたいことだったが見事に分からない。
現在の社殿は新しいものだし、その由縁を考える根拠にも乏しい。でもこの2神社は全く違ったものであるか、本当に双子神社であったのか非常に気になる。
和歌山の郷土史家さん、仮説でもいいので何か提示して貰えないでしょうか。
【後記】
キトラ古墳の四神館に行ったところ、最初の渡来人の名前が檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)であるという説明を見かけた。
これと何か関係はないだろうか。