奈良を中心に巡っています

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

初瀬詣とわらしべ長者

2020-03-08 15:39:00 | 日記

憂かりける人を初瀬の山下ろしよ

激しかれとは祈らぬものを(源俊頼)

という歌でも有名な長谷寺を訪れた。

仁王門を入り、この寺独特の長い登廊の下、階段を登る。



傾斜は緩く、苦にはならない。途中右手に宗宝蔵があったので入ってみる。展示物には余り興味をそそられなかったが、写真がおもしろかった。ここ長谷寺は牡丹で有名だが、緑の花を咲かす牡丹があるという。



さて本堂に着くと、今日は観音様の足に触れることができるという。受付で女性が手に香油をかけてくれ、結縁の腕輪を手首に巻いてくれた。



堂内に入ると天井が低くなり、腰を曲げないと歩けない。右手にいきなり観音様が現れた。身の丈10m弱で非常に圧迫感がある。両足は黒光りしており、先に来ていた女性が正座して左足を撫で、何事かつぶやいていた。

この写真は本尊の裏にあったレプリカ。高さ50cmぐらい。本尊が秘仏であったころ、代わりに拝んだらしい。



この本堂は特殊な形をしている。真ん中が東西の通路になっており、中に入ると先程見た観音様の上体が見えた。



この寺は観光寺と言うよりは信仰の寺という趣が強い。皆熱心に祈り、蝋燭を献燈してゆく。

堂の南側は板敷になっており、その先は清水の舞台のような造りになっている。やはりここも手すりの方に向かってやや傾斜している。西側には五重塔が見える。



山を下っていくと本坊に着くと、天皇陛下を始めとして皇族御手植えの松が並んでいた。



境内を出て街を少し歩くと、あったあった。やはりこれがないと。




中に入って長者ランチを頼んだ



小鉢の一番左は野蒜の酢味噌和え。これを最後に頂いたのはいつだったろうか。


蘇我氏の本拠、甘樫丘

2020-03-07 07:50:00 | 日記

飛鳥宮と言われることがあるが、藤原京などのように格子状の道路で区画された都市ではない。宮や寺が、南北に細長い平地に点在していたものと想像される。平地の幅は数百m、長さは2kmほどだろうか、結構狭い。



その飛鳥平地の西側にある小高い丘陵が甘樫丘(あまかしのおか)である。伝承によるとここに蘇我蝦夷、蘇我入鹿がそれぞれ豪邸を持っていたと言われている。乙巳の変で入鹿が討たれた後、蝦夷は自らの館に火を放ち、自殺したという。ではどこにあったのだろうか、行ってみることにした。

丘全体が公園となっているので、まず北部の頂上を目指す。かなり急だ。



甘樫展望台と言われている。そこはとても眺望に恵まれていた。北は大和三山が一望に見渡せる。



東には飛鳥寺が真正面に見えた。



ここが館跡かと思ったが、如何せん狭すぎる。尾根沿いに歩いてみたが、建物を建てられそうな平地はない。やはり西麓のどこかだろう。

候補地は2つの芝生公園。板蓋宮に近く、数分で参内することができる。



飛鳥寺にも参詣した。飛鳥寺は日本で最初に建てられた寺院で、蘇我馬子が創建したと言われている。塔を中央に配置した当初の伽藍は珍しい。



有名な飛鳥大仏は体高3m弱、細長い顔に杏型の目が特徴的だ。



この仏、光背がない。元はあったらしいが火災でなくなったらしい。また台座がない。よく見ると大きな石の上に座っている。これが作られた当初からこの場所から動いていないことの根拠の一つとなっている。

寺の西側80mのところに蘇我入鹿の首塚と言われる石碑があった。



馬子に始まって入鹿に終わる、うまくできた話だが、真偽の程は疑わしい。


薬師寺と本薬師寺

2020-03-06 08:17:00 | 日記

奈良では、平城宮跡、興福寺など伽藍の再建事業が進んでいる。その嚆矢であり、また現在も再建活動が続いているのが薬師寺である。

1976  金堂落慶

1981  西塔再建

2003  大講堂復興

2017  食堂(じきどう)再建

昔は、東塔しかなかった。その時、あの薬師三尊像はどこに保管されていたのだろう。

さて、まずは東塔である。「凍れる音楽」と表されていることと、「これは六重の塔ではなく三重塔なんやで」と名解説をする坊さんで有名であった。本当に美しい塔だ。世界にこれだけ美しい建造物があるのだろうか。


続いて西塔だ。

再建からおよそ40年。いい具合に彩色が褪せてきている。東塔と同じ設計だが、いくつか違いがある。西塔には連子窓があるが東塔にはない。これは当初は連子窓があったが途中の修復で東塔ではなくなったということらしい。また、西塔のほうが少し高いという。あと500年もすれば自重により同じ高さになるということだ。何と日本人らしい発想。


この時期、西塔の1階が公開されていたので拝観する。仏陀の覚りから分骨までの4期間を中央4面に彫塑しているのだが、これが凄い。写真不可なので掲載できないが、後から入ってきた若者達が「何だこれ、パネー!」と大声を上げていた。そうだろう、そうだろう。因みに二層に行く階段はなかった。

金堂に行く。


本尊の薬師如来の両脇を月光菩薩、日光菩薩が固める。この三尊、金銅仏である。銅の鋳造に金箔を施しているのだが、火災により金が溶け、銅と一体化したという。お陰で三体とも真っ黒だが表面はやや光っている。その美しい体型と合わせ、不幸が美に転化したと言って差し支えない。日本で最も美しい仏像の一つだろう。
天井の格子に書かれた絵も繊細だ。

薬師如来の台座には、ギリシャの唐草文様、イランの文様、インドの神、中国の四方神獣などが刻まれている。日本がシルクロードの終点と言われる所以だ。


因みに復興された伽藍は殆どが木造であるが、金堂の内陣だけはコンクリート造りになっている。見た目は木製だが触るとわかる。これは三尊を守る為という説明であり納得。しかし5m以上と思われるこの像、火災のときどうやって運んだのだろうか。


食堂は少し趣きが異なる。まず出入口がガラスの自動ドアになっている。

内部北面には、仏教がどうやって薬師寺に伝わったのか、壁画があった。んっ、何で藤原京がでてくるんだ?

続いて玄奘三蔵院に向かう。


扁額にある不東の文字は、苛烈を極めたインド行きで、絶対に中国・東には向かわないという玄奘の誓願だったらしい。ここには平山郁夫のシルクロード大壁画があった。完成まで30年掛かったという。彼の絵はどれも春の香りがする。

院を出ると気の早い桜が咲いていた。墨染桜というらしい。


ついでに、池越しに撮影されるポイントにも行ってみる。突然降り出した霰に苦労しながら歩くと確かにそのポイントはあったが、望遠レンズが必要。スマホではこれがせいぜい。

改めて門前の説明書きを読むと、当初は藤原京に建立され奈良遷都に伴いここに移転したという。元の薬師寺は本薬師寺(もとやくしじ)と言われたらしい。これは行ってみないと。地図で調べるとちょうど真南に20kmの場所にある。

藤原京で言うと南西角に当たる。

行って見ると寺ではなく大きめの民家だった。



しかし庭には大きな礎石が多数あった。



東南には祠のような塚があり、ここにも礎石がある。



南西にも方形の塚があり、ここにも礎石があった。



それぞれ東塔跡、西塔跡らしい。やはりここも薬師寺と同じ伽藍配置だったようだ。





国宝だらけの唐招提寺

2020-03-05 17:14:00 | 日記

久しぶりの唐招提寺。

南大門から真正面に金堂が目に入る。簡素で力強く、優美だ。さすが天平の甍。



柱を見ると、修復の跡が生々しい。



中の7体の像は全て国宝だが、就中十一面千手観音像は圧巻だ。本当に千本の手を持つ千手観音像はここを含めて3体しかない。作った人の執念のようなものを感じる。

鼓楼の横を通って


講堂をすぎると、

開山堂という小さな建物があり、中にはあの鑑真和上座像が鎮座していた。えっ、こんなところに?と思ったら、これは複製だった。


本物はその北の御影堂に安置されているが、毎年6月6日の前後計3日しか公開されない。また御影堂自体が修理中であり、あと2年ぐらいかかるらしい。

境内の北東部に鑑真和上の御廟があるという。参道に入ると両脇は苔がびっしりと生えた疎林がある。



他の場所では殆ど苔は見られないが、何か特別な養生方法があるのだろうか。

その先に御廟があった。



御廟から南に下ると、校倉造りの建物が2軒見られる。経蔵と宝蔵だそうで、特に手前の経蔵は唐招提寺建立前に新田部親王の米倉を移築したもので、日本最古の校倉だそうだ。



唐招提寺は中学の修学旅行で訪れたのだが、一体何を見ていたのだろうか。



拠点確保

2020-03-03 20:43:00 | 日記

奈良に来てから2週間、やっとアジトに入ることができた。2/15にはもう物件を決めていたのだが、いろいろ手続きが煩く時間が掛った。

学生時代、阿佐ヶ谷の不動産屋に行ったら「今日決めないんだったら帰ってくれよ」と言われたのとは隔世の感がある。


入居は3/1の日曜日。ワンルームマンションで水こそ出るが、電気、ガスは不通。タダの洞窟で寒い。ここで一晩過ごすの?

漫喫を探したが、近くにはない。どうする?

取り敢えず布団セットを買い、それからLEDランタンを見つけたが、これが中々良かった。

次の日、ベッド、簡易机、テレビなどを買ったが、組み立てや設定で肉体的にも精神的にも疲労する。TVの民放3局はいずれもノイズが入る。ブースターが必要だ。

電気、ガス、インターネット等の加入手続きにも追われる。電気は翌日、ガスはその翌日に通じたが、インターネットは3/10になるらしい。

相変わらずの◯TTサービスだ。


なお、実家よりも快適な環境にする気はない。ビジネスホテルの代替なのだから、電子レンジや洗濯機は必要ない。簡素で清潔な部屋を拠点に、奈良およびその近辺を攻めたい。