1990年代前半、近畿で人気があったぜんじろう。
上岡龍太郎の弟子のぜんじろう。
ぜんじろうは上岡龍太郎の弟子時代に逃亡している。
ぜんじろうは芸能界は華やかだと思っていた。
しかし上岡龍太郎は関西テレビでしか仕事が無かった。
ぜんじろうが出会う芸能人は
横山ノック
桂文珍
藤本統紀子
だけだった。
ぜんじろうは
「なんやこれ!芸能界ちゃうやん・・・」
と思った。
MBS毎日放送で月曜から金曜まで深夜1時から放送していた近畿ローカル「テレビのツボ」の司会だったぜんじろう。
MBS毎日放送で深夜1時から放送していた「テレビのツボ」は視聴率が10%を超えていた。
ぜんじろうも自由に伸び伸びやっていた。
「テレビのツボ」高視聴率を受けMBS毎日放送は夕方に情報バラエティ「屋台の目ぇ」を開始した。
しかしMBS毎日放送の夕方情報バラエティ「屋台の目ぇ」はすぐに打ち切られた。
ぜんじろうは日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」出演が決定する。
ぜんじろうは東京進出を決める。
しかし日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」は視聴率がかなり悪化してきていた。
ぜんじろうはせっかく東京進出を決意し日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」に出たのに
日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ」はすぐ終わってしまった。
ぜんじろうは東京進出で忙しくなりMBS毎日放送で月曜から金曜まで深夜1時から放送していた「テレビのツボ」を金曜だけの「週刊テレビのツボ」にしてもらっていた。
しかもぜんじろうは金曜だけの「週刊テレビのツボ」すら露骨に手を抜くようになって全然面白くなくなっていた。
金曜だけの「週刊テレビのツボ」も打ち切りになった。
東京でも大阪でも仕事が無いぜんじろう。