Moi!! kiitos!!

Minun nimi on natuko!!

  ~the sense of wonder~

自分への疑問(?_?)

2011年05月28日 12時20分27秒 | 日記



今、JIN~仁~をさかのぼってみています

南方仁先生は多くの歴史の人物と出会います。

中でも、緒方洪庵の器のでかさに頭が下がりました。

仁先生の未来の医術に対して、妬みなどはせず、民のために医術を広めてほしいと…。

実際の緒方洪庵もきっとそうなんだろうと想像しました。


二十一世紀に生きる君たちへ~著:司馬遼太郎~

司馬遼太郎が緒方洪庵のことをこう書いています…抜粋

~かれは、名を求めず、利を求めなかった。あふれるほどの実力がありながら、

しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思え

るのである。

洪庵は、生まれつき体が弱く、病気がちで、塾や道場をしばしば休んだ。

人間は、人並みでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。

そのことが、物を考えるばねになる。

少年時代の洪庵も、そうだった。かれは、人間について考えた。

人間が健康であったり、健康でなかったり、また病気をしたりするということは、

一体何に原因するのか…。

~医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。

決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。

ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。


緒方洪庵みたいな医者に私は会ったことがない。

江戸時代、病院という整備された環境はない。

現代の医療は、緒方洪庵を始め多くの医者が積み上げてきたもの。

病院へ行けば、当たり前の環境が与えられている。

もし、何もなくなってしまったら…。はたして、人は医術ができるのか?

医術に限らず、今生活で使っているものがなくなったら、生きられるのだろうか。

でも、昔はそのような中でで当たり前のように、生活をしていた。

私は作られた・与えられた世界で生活しているんだと…。

きっと考えるということをしていないのだろう。

当たり前の生活が、無くなってしまったら、自分では作ることができない。

過去というとてつもない土台があり現代が成り立っている。

南方仁のように、ポンどこかに放り投げられても生きられるような人でありたい。