今、JIN~仁~をさかのぼってみています。
南方仁先生は多くの歴史の人物と出会います。
中でも、緒方洪庵の器のでかさに頭が下がりました。
仁先生の未来の医術に対して、妬みなどはせず、民のために医術を広めてほしいと…。
実際の緒方洪庵もきっとそうなんだろうと想像しました。
二十一世紀に生きる君たちへ~著:司馬遼太郎~
司馬遼太郎が緒方洪庵のことをこう書いています…抜粋
~かれは、名を求めず、利を求めなかった。あふれるほどの実力がありながら、
しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思え
るのである。
洪庵は、生まれつき体が弱く、病気がちで、塾や道場をしばしば休んだ。
人間は、人並みでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。
そのことが、物を考えるばねになる。
少年時代の洪庵も、そうだった。かれは、人間について考えた。
人間が健康であったり、健康でなかったり、また病気をしたりするということは、
一体何に原因するのか…。
~医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。
決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。
ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。
緒方洪庵みたいな医者に私は会ったことがない。
江戸時代、病院という整備された環境はない。
現代の医療は、緒方洪庵を始め多くの医者が積み上げてきたもの。
病院へ行けば、当たり前の環境が与えられている。
もし、何もなくなってしまったら…。はたして、人は医術ができるのか?
医術に限らず、今生活で使っているものがなくなったら、生きられるのだろうか。
でも、昔はそのような中でで当たり前のように、生活をしていた。
私は作られた・与えられた世界で生活しているんだと…。
きっと考えるということをしていないのだろう。
当たり前の生活が、無くなってしまったら、自分では作ることができない。
過去というとてつもない土台があり現代が成り立っている。
南方仁のように、ポンどこかに放り投げられても生きられるような人でありたい。