質問者:ハイル禅師 僕は献金や布施に対しての後悔が
残るのですが いけないことでしょうか?
私:教団から献金を強要されたとか 悪徳宗教に思える様
になったので今までの交通費や献金を返してほしいとか
主張される方が世の中にはおります
しかし私に言わせればその人たちは基本的な心得違いを
していると言わざるを得ません
なぜなら献金や布施とは神仏に対する感謝の印であり
財施になるので喜んで捨てる喜捨を施されたはずだから
であります
だからどんなに悪徳教団で偽宗教であったとしても
神仏に喜捨した財施は天に積まれております
それなのに交通費や献金費用を返せ!と言うのは
心から喜捨しておらず それでは何の意味でされたのか
まったく意義を持ちません
献金や布施とは無償の行為であり対価代償を求めざる
至誠の証になる訳で自分が献金や布施をした事実は
天に記録されており無意味とはならない
後悔が残る人は本質的な喜捨の精神を理解しておらず
稚拙なのである
神社や教団に喜捨した金額は大きいほど貢献出来たと
喜ばしく思うべきであります 生き金としてお金が働いた
からです
だが組織に強要されて出したり恐怖感で多額の献金を
されるのは最初から絶対に止めておくべきです