質問者:ハイル禅師 人間の御魂はどこから生まれ出た
存在なのでしょうか?
私:人間の御魂は「神の分魂」と呼ばれるように
元々は「神界」から生まれ出た存在なのであります
神界とは完全に調和の取れた世界であり高度な精神性・
文化性・芸術性・宗教性・科学性・合理性と相まって
慈愛の世界でもあります
ただ地上の人間は神仏や宗教を胡散臭く感じる人が多いが
これは一部のガセ宗教の暴走やマスコミの中傷に因る悪い
イメージづくりの結果でもあります
本当の神仏は慈愛により正しい宗教に入信してきた人の業を
ある程度抹消して寿命や健康を自然な形で継ぎ足したりして
おられるのです
それなのに世間では極端な悪徳宗教が叩かれると同時に
神仏の存在を訝しむ者が宗教は巨悪のように吹聴してきた
経緯が無信仰者を増やしたのである
神仏は宗教と付くモノをすべて毛嫌いして神を遠ざけ芸術や
社会福祉に勤しまない人間をもどかしく思っております
芸術と宗教と科学が極まった宇宙意識の最高部分に神仏の
世界がある
「偏見は無知より生ず」を痛感しておりますが マスコミによる
偏向した宗教報道に洗脳されず正しい真理がどこにあるのかを
私の語録の読破により読み取って頂きたく思っている次第です
そうですねぇ…。今の私は、目に見えないものを何処まで信じ切れるか?という事が、課題の一つになっているような気がしておりますね。
勿論、それと同時に、自分の現実的な土台の安定、安心があってこそのものなのではないか?ということを痛感いたしております。
もうこれ以上危ないまねは、出来るだけしたくはないなぁというのが、安心したいというのが本音です。
きっといろいろな意味で、危ない目に合いすぎて、精神的に疲れているんでしょうね。
そして、人を信じること。これは本当に難しいことではないかと思っております。
信じることが、押しつけになってもいけないと思いますし、過剰な依頼心になってもいけないんじゃないかと思うのですよ。
自分は自分のことを、しっかりやったうえで、安定しつつ、見守る。そして、必要なときは手を差し伸べる…。そして、余り期待を掛け過ぎないこと。(プレッシャーをかけ過ぎないこと)つまり、見返りを求めず、手を差し伸べる。というくらいが丁度良いのかなぁと感じるこの頃です。
助けて頂いたり、守って頂いたりしていること分かっております。本当にありがとう御座います。愛情も感じております。
どうか少しでも、いろいろな事が、より良き方へと向かうと良いですね。
心身共にご自愛くださいね。それではまた…。】