
6番目の越中一の宮・気多(けた)神社が鎮座する富山県高岡市伏木は、奈良時代に越中国国府があった。
ご祭神は大己貴神つまり大国主命と、その妻神・奴奈加波比売命。
大国主命は複数の妻神がおられるが、奴奈加波比売命はそのおひとりなのだろう。
本殿がはっきりわかります。
たびたびの兵火で焼失し、前田利常公による再建。
天平年間というから、西暦700年代の中期、万葉集の編纂で有名な歌人でもある大伴家持が越中守として当地に赴任。
その折に二上山を見て、大和の二上山を偲んだとされている。
718年に越中国から能登国を割り、現石川県羽咋市に坐する気多大社を勧進した。
大伴神社には、なんでも大伴家持が越中守だったころの、ゆかりの地の土を集めてご神体としているらしい。
高低差のある見通しのよい境内には、参拝者も含めて誰もおらず、
石碑前の「気多神社社務所」という標識を目途に社務所を訪れる。
授与所という雰囲気ではなく、思い切ってピンポーンを鳴らすと、
社人が出てきてくれた。
御朱印の趣きを話すと、脇に半紙に書いた御朱印を、いくばかの代金を置いていかれるようにという。
ちょっぴり残念だったが、宮司の手によるものだというので、300円ほどお納めして御朱印用紙を受け取った。
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