プログラマー兼テクニカルライターである石川直太 (いしかわ なおた) のブログです。哲学からゲームまで。
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対立と怨念の40年間
誕生日に書こうと思っていましたが、
長くなるので二回に分けた、怨念の物語です。
●大学進学をめぐるもめ事:
高校生の時に、21世紀には、数学と生物学と中国語が重要になるだろうと
予言しましたが、応援してくださったのは、数学の遠藤先生と内藤先生だけでした。
追記:当時、「計算機科学」という言葉は広く知られておらず、
私が目指した「数学」は現在の計算機科学を含む広い意味でした。
私の母は、東京理科大学を三流だと思い込んでいました。
現役で合格したのですが、進学を許されませんでした。
家族を殺して、少年院に数学の教科書を差し入れてもらうかとも
考えましたが、当時法学部の学生だった高校の先輩に説得されました。
民法によると、未成年者は保護者が決めた場所に住む義務があります。
(イラクに住めと言われたらどうなるのでしょう?)
母の友人の旦那さんの命令で、私は東北大学の寮に住むことになり、
高校で選択していなかった物理2を1ヶ月間で勉強して、
東北大学工学部に入りました。
その旦那さんは、当時松下電器の部長さんで、
私に電気工学を勉強させて、将来雇いたかったようです。
しかし、東北大学では自分がやりたい勉強をできないので、
東北大学の寮から、代々木ゼミナール仙台校へ1年間通いました。
その後、母と高校の担任の二者面談の結果、
なぜか横浜国立大学工学部応用化学科へ入学し、
失意の元に4年間を過ごしました。
国立大学なんか無くなってしまえと、
過激派による文部省解体闘争を応援していました。
●アスキーと東京理科大学:
応用化学科の先生から、情報工学科の学生よりもできるから、
学校推薦で富士通へ就職しないかと勧めていただきましたが、
ベンチャービジネスに興味があってアスキーを選びました。
人生誤ったかな。
アスキーでは、西和彦氏に失望しました。
横浜国立大学を卒業し、アスキーに就職してから、
社会人入学でようやく東京理科大学理学部第二部数学科に入れました。
人生で初めて、学校で勉強するのが楽しくなりました。
昼間遊んでいる学生よりも、昼間働いている学生の士気が高いことが、
夜間部社会人学生の誇りです。
数学科の学生も理科の教職科目を受講できたのが、
現在の仕事に役立っています。
ところが、最近になって、東京理科大学の学長先生が
NHK 教育テレビで講演したのを母が見て、一転、
「理科大っていい大学なんだね」と、和解できました。
東京理科大学で不祥事がないように祈っています。
横浜京都間の高速バスの存在を知っていれば、
現役京都大学受験で妥協できたでしょう。
高校生の時に、旅をするべきでした。
私が一流と認める大学は、東京理科大学と京都大学だけです。
東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学は、入学できても、
数学科へ進級できる保証がないので、私にとって無意味です。
●慶應義塾大学とUnix:
アスキーで働いていたときに、Unix を制する者が21世紀を制すると
感じました。しかし、当時 Unix を学ぶには、東京工業大学か
慶應義塾大学の大学院へ行くしかありませんでした。
東京理科大学の林先生が定年になって、博士課程へ進学できない背景もありました。
慶應義塾大学の斎藤先生が監修した「TeXブック」と「プログラミング言語C++」が
面白かったので、慶應義塾大学大学院博士課程を受験しました。
斎藤研究室の先輩曰く、「人生誤ったな」。。。
●母とキリスト教の対立:
昔は、母と一緒に教会へ行ったこともありました。
しかし、母が牧神から紹介してもらった弁護士さんと母が対立し、
母がキリスト教を嫌ってしまいました。
●疲れてしまいました:
東京理科大学で学んだ数学が仕事に役に立てば立つほど、
自分は母に復讐するために、数学を学び、
働いているのかもしれないと、罪の意識を感じます。
教会への献金も同様です。
ノーベル賞までいかなくても、画期的な成果を挙げて、
記者会見の場で、母と進路指導の先生への怨念を語りたいです。
しかし、怨念を心の糧にして生きるのに、疲れてしまいました。
何千年も対立を続けているユダヤ教徒とイスラム教徒を、
なかなか見習えません。
死ぬときは過激派として、原子力施設で自爆して終わりにしようか。
とりあえず、衆議院選挙があるようなので、そのあとで考えます。