床屋に行った。
すっきりしたが、頭が寒くなった。
双極性障害の研究者にはだいたい3つ位の考え方がある。
一つ目はは一番主流である加藤忠史氏らの考える「脳内物質の偏りの病」であり、病前性格と遺伝体質が前もってあり、ストレスによって発症するという考え方である。
この立場は精神疾患をひとつの臓器の病と考える。病前性格等も双極性障害の遺伝子の影響ではないかと仮定し、基本誰にでもそうしたものがそろえば発祥しうると考えている。ちょうど高血圧や高血糖などと同じく遺伝的な体質だが、だからといって誰にでも発症するとはしていない。一方で発症しても高血圧等と同じく薬による維持療法でコントロールは可能とする。また医師の指導下における精神療法や認知行動療法も補助的には有効であるとする。
この考え方はうつ病学会双極性委員会の基本的な立場とも言える。
二つ目は内海健氏の文化的背景の中で新しく起こってきた病であるという考え方である。ポスト・モダン後、すなわち成長社会が行き詰った現在、いままではがんばってその末にドイツや日本のみで典型的であったうつ病が、いわば戻る社会・目標を失った形が特に双極Ⅱ型障害として元来のうつ病から移行してきているという考え方である(いわゆるDSM的ではなく病跡学的かもしれない)。
この双極Ⅱ型障害の場合、周囲への同調性が非常に高く、以前ならば戻るべき社会や物語が存在したため日本典型のうつ病で終わっていたものが、社会側また本人の中の治るための足がかりを失い病態が変化していったものだとしてる。また安易な抗うつ剤(SSRI)の投与がこの病態を顕在化や悪化させていることも指摘する。
「同調性」は病前には非常に高い周囲への配慮として威力を発揮するが、ストレス等で病気に至っていくと「空回り」を始める。内海氏はこの「同調性」と「空回り」に寄り添えない精神科医にはこの種の患者の治療は難しいとしている。臨床心理学っぽい理解だ。
またしばしば、双極性障害患者の中で内海氏のこうした文化論的な捉え方に、「それじゃあ、病人はどうしたら治るのよ?社会が変わらなきゃ治らないのか?」という素朴かつ悲鳴に近い疑問があることは事実である。
3つ目の立場は神田橋條治先生の立場で、双極性障害は遺伝的体質を軸にして起こる脳の病であるとする。その意味では前出の加藤氏の立場と近い。そして双極性障害は病前性格が非常に対人同調が強いことも示唆する。神田橋氏はいわゆるDSM分類を否定し、「患者にとって有益な病名をつける」とする。
患者の小さいころからの波を指摘し、また家族内にも似たような波を持っていた人がいるのではないかと患者に促す。
また特徴的なのは双極性障害患者には内省的な精神療法や心理療法は禁忌であるとする点である。治療の基本は気分安定化薬での維持療法である。治療の最終目標は「病院にかからなくても何とかなっていた中学や高校の頃のようにもどすこと」ことであり、病識を持ちながらもともとの対人同調の才能を生かすような方向へ精神療法していくという。この部分は無理に自分を発奮させる仕事(特に営業など)を禁忌とする加藤氏の見解とは異なっている。
3つを整理すると(1)加藤忠史氏は「脳という臓器の病」であり気分安定化薬が基本的治療とし、なるべく躁とうつを刺激しない生活を薦めている。(2)内海健氏は「大きな物語の喪失」からのうつ病形態から変化したものが双極Ⅱ型障害と論じ、同調性の高い患者に対して薬物とともに同調性の混乱した心に寄り添う精神療法を促す。(3)神田橋條治氏は双極性障害を「遺伝的体質」とし、それにより病識を持ってもらい、薬物を中心とした内省的ではない精神療法によって治療を進めるとする。治療目標は同調性を生かした自立である。
たぶん一番中庸的であり現場的なのが神田橋氏の見解であるが、神田橋氏の講演録を読めばわかるが、彼は中井久夫氏とともにある種の天才である。神田橋氏の言うような治療が誰にでもできるかといわれればそれは不可能だろうと個人的には思う。
その意味においては内海氏の「患者の対人同調性の空回りや苦労を理解できない人には治療は難しい」というのは当たっているのかもしれない。
去年の冬に生まれて初めて、SSRIという抗うつ剤ではっきりした躁転を経験した。
これが双極Ⅱ型障害(躁うつ病)という病気にかかっているという認識を自分自身せざるを得ない理由となった(いま考えると主治医はそれを狙っていたのではないだろうか?でもリスキーである)。
「たぶん軽い躁状態になる。少しの間それを楽しむくらいの気持ちでいろ」と確か言われた。
たしか2種類以上のSSRIとSNRIを飲んでいた気がする。処方を受けて数週間たってうつ状態は改善して、妙に明るい気分になったのを覚えている。何人かの友人に電話をかけ「治ってきた」と報告した覚えがある。
その後、妙に楽しい気分で自分がいままでしたくてもできなかったことをした。
よくよく躁転しても人間が小さいなぁと思うのだが、何をしたかと言えばUFOキャッチャー(クレーンゲーム)で自分の好きなキャラクターものの人形を取りまくったことと、女性向けのかわいいもののショップに行ってこれまたかわいい人形やグッズを買いまくった。
よく躁状態で「全財産を使い果たす」「借金をする」というエピソードがあるが、ボクの場合、本当に人間がちっちゃく、金銭的にも大がかりではなかった。
たぶん、ここまでが主治医が予想していた範囲で、この後が自体を悪い方向へと向かわせた。
自分の中に何ともいえない怒りが起こってきた。フラッシュバック的な怒りである。
それは今まで自分が心にふたをしてきたことへの怒りであり、その怒りの対象へメール等で怒りをぶつけるという行為へ加速を続ける。
たぶんこれが躁とうつの「混合状態」と言われるもので、怒り自体は次第に家族へ、自分へと向けられていった。
結局、顛末として自殺未遂に至り、未遂後に担当医からボクの携帯に電話が直接来て「×と△以外の薬は飲むな」と言われた。
その後、病院へ家族と診察に行くと担当医は「しまった・・・」と呟いていた。そして「双極Ⅱ型障害」と診断された(そのまま入院となった)。
たぶんSSRI等で躁転したものの派手で極端なものではなかったので(十分派手だが一定の理論の中で行動が規定されている)、所謂躁とうつの波の大きな双極Ⅰ型障害とは診断されなかったのだろう。
ただこの躁転で友人にしろ家族にしろ、傷ついた人たちをたくさん生み出すこととなった。
双極性障害は脳という臓器の病であるが、たとえば肝臓ガンになった人はその肝臓で周囲を傷つけることはない。
脳の病という担当医の言うことや専門医のいうことはよく分かるが、一方でSSRIでの躁転で自分が狂い周囲を傷つけるというのはなんともやるせない。もちろん、脳のコントロールを理性が失い、病気に凌駕されていたともいえるのだが。やるせないのはやるせない。
神田橋先生の分類ならボクは「扱い壊された双極性障害」であろう。
けれど結果責任は自分が負うしかないのだ。
副作用で薬を減薬したためか、それとも季節が冬に移り変わっているせいか、過眠とうつ症状が止まらない。
うつ症状はなんとかコントロールしているが、過眠はどうしようもない。
極端な気分の情動は気分安定薬である程度は抑えられていると思う。
が、過眠は一般生活を送るためにはちょっと困った症状である。
まだまだ我慢が必要な時期なのかもしれない。