どこ吹く風

旅のことを主に書く。

エルブロンネ

2010年08月10日 10時09分28秒 | ドロミテ・チロル
7月18日(日)
6:15 ホテル発ー6:55ロープウェイ発ー7:18エギュー・ド・ミディ着ー9:30エルブロンネ発11:00 チェックアウトー 11:38 シャモニー発ー12:10 Vallorcine 着ー13:00同駅発
14:00 マーティニー着ー 14:08 同発ー14:50 フィスプ着ー15:10 同発
16:20 チェルマット着ー 17:12 ゴルナグラード鉄道発ー17:45 ゴルナグラード着
17:50 チェックイン 22:30 星を見る会

 モンブランは早朝見るに限る。ロープウェイは6時半から動くので始発に乗るべく急いで駅に行くと既に大勢のアルピニストが並んでいる。客がいるとピストン運行するのでそれ簿度待たずに乗る。ガスが街を覆っている、そのうち晴れるだろうと期待しながら上がると周りの景色がぼやけた思うとガスの中に突っ込んだ。周りは真っ白け、しかし間もなくガスを抜け青空が見えた。谷間や盆地の朝はガスが掛かり易いのだ。

 モンブランの頂はなだらかだが目の下の氷河は縦横に割れて荒々しく流れ下っている。静と動のモンブランが静かに迎えてくれた。悪天候でロープウェイがストップしたこともあった。去年は寒さに震えながらご来光を拝んだ。今年は心配した天候も晴れておりホッカイロも準備したので充分景色も楽しめるだろう。

 エレベーターで展望台に昇ろうとして目をやると、3776と書かれている。見覚えのある数字だと考えると富士山の高さだった。ここが富士山の頂上と同じ高さなのか、偶然にしてはできすぎている。日本人向けのジョークかな。

 モンブランは目の前にある。左手には三大北壁の一つグランドジュラスも悠然と朝日を背にして聳えている。たしかバットレスが有名だったが何処になるのか。もっと左に目をやるとドリュの針峰群も近い。遙か彼方にマッターホルンが見える。逆光になるのも構わずシャッターを切る。

 今年は寒さをさほど感じない、ホッカイロの所為だけもなさそうだ。エギュー・ド・ミディからの展望を満喫したのでエルブロンネに渡る。三連のゴンドラがある間隔で吊られている、幸い尖塔の箱に乗ったので視界良好。
眼下には氷河のハイキングを楽しむのか、それともロックに挑むのかクライマー姿のグループが何組も列を成している。
またキャンパーもいて赤やオレンジのテントが幾つも見える。

 ゴンドラは時折り止まる、駅で客を乗り降りさせるために止まるからである。その間氷河の上で宙ぶらりんになって辺りの景色がゆっくり見れるし、写真タイムでもある。ガタンと動き出し又止まる、それを繰り返しながらエルブロンネに着いた。

 通常昼間にこのルートを乗ることになるが太陽が上がりすぎてベタ光線になるので山の襞の陰影がハッキリせず平面的になるけど、早朝は光の加減で陰影がくっきり山を浮かび上がらせる。山の景色を見るには早朝に来るべきだ。

 エルブロンネも写真を取り捲り戻ろうとしたら上がってきたイタリアのご婦人が山を指してモンテビアンコと言う。ビアンコは白なので白い山と言うているのだ、白い山しろいやまと考え、白はフランス語でブランカという、ハンフリー・ボガードの有名な映画カサ・ブランカのブランカだ。
つまりモンブランのことだ、イタリアではモンテブランカと言うのだ。モンブランがここでも見えるとは思わなかった。ただその山は何故かどっしりした山だったので数枚写真を撮っていたが、再度展望台に行ってモンテビアンカをバックにスナップ写真を撮った。

 チェックアウトの時間ギリギリの11時前にホテルに戻る。大急ぎで荷物を下ろしてチェックアウトした。これからチェルマットへ行きゴルナグラードのクルムホテルに泊まる。フロントの無愛想なご婦人にお願いして予約した。女将さんはおしゃべりで愛嬌のある方だったが、この人はどこか事務的だ。
この宿に泊まるのは3回目だと言うと、次ぎはディスカウントしましょうと無表情で答えた。しかし朝食時間に間に合わなかったのでその分若干安くしてもらった。愛嬌が無く事務的に対応してもらっても安くしてもらうとわだかまりも消えた。

 せっかくシャモニーまで足を延ばしたのだからゆっくりしてもいいけどモンブランを見たのでもう満足だ。駅に行くとVallorcine行きの汽車が入ってきた。接続があるだろうと飛び乗ったがマーティニーへの接続はなし。1時間ほど待たねばならないので昼食にする。駅からリフトが動いているのが見える、時間潰しにそれに乗ろうと思ったが止まってしまった。きっとランチタイムの休憩だろう。

 ベンチで休んでいるとご婦人にフランス語で”マーティニー行きはこのホームか?”と聞かれた。(と思う)そこでフランス語で返事をした「J'e ne sa pas!]と。「知らない」というフランス語は多分そういう言い方だったと記憶している。マダムを入れれば完璧だったかな。

 以後乗り換えも順調にいきチェルマットに着いた。