どこ吹く風

旅のことを主に書く。

パスポートは何処へ

2010年08月11日 16時30分18秒 | 西安・敦煌遊学
 ドロミテからチロルさらにモンブランまでのアルプス旅行から戻りメールを整理していたら西安の件でメールが届いている。参加者の顔合わせと準備の集まりの日時連絡と旅費納付についてのメールが届いている。

 アルプスへの出発前に、7月は旅行のために不在になるので旅費の前金や打ち合わせ会の件でメールを入れてあった。それなのに返事が無く西安の件は放って出発した。主催団体の日中友好協会の会長さんはメールを読まなかったようだ。

 気になっていたので、早々に電話を入れてお会いした。旅費の納付を済ませ更にビザ申請の手続もしてきた。これでひと安心、参加者は12名とのこと。そのうち3名は公民館で共に会話を学んでいるメンバーで、外にどのような方々がおられるか分からない。

 妻から”そろそろ西安の準備をしなさい。”と言われて旅行の定番紙パンツを百均ストアで買い、西安事情などを検索し始めるんどボチボチ準備に取り掛かった。
先日妻が”私のパスポートはいつも保管する場所にあるが、アンタのは無いよ。”と言う。会長さんに会って手続したときは確か持参した。戻ってから・・・いや箪笥に入れたはずだが記憶は定かではない。中国関連の資料と一緒に置いてあるのかと探すも無い。

 これは一大事だと徹底的に探す為机周辺の整理からはじめた。一つひとつ取り出し要らないものは捨てるという大掃除をした。どこかに紛れ込んでいてもこのようにして調べれば出てくるだろうとの期待も虚しく空振りした。

 もう一度箪笥ををひっくり返して探すも無い。あの日銀行でお金を下ろして支払いを済ませた、その時はバッグに入っていた。戻ってから何処に置いたのか、記憶が曖昧になっている。
出発まで3週間を切っているので時間は限られている。パスポート取り直すのに10日ほど見ておかねばならない、週明けには申請したほうがいいだろうと考え始めた。
そこに運転免許の切替通知が届いた。どうせ写真が要るのでパスポート用も準備しておこう。パスポートは10年使うのでこの際散髪をしてから写しに行こうとあれこれ考えた。
 
 ます散髪だ、西安でパーマを掛けるつもりだったが前倒ししてお盆ダンパチをすることにして美容室へ行った。西安より数倍高く付くが前回の経験からこちらの方が安心して掛けられる。これなら写真写りも良いだろう。

 その足で写真屋へ行ってパスポート用に免許証用を撮ってもらい、西安交通大学でも学生証提出するだろうからと焼き増しも頼んだ。
あとは役所で戸籍謄本と住民票の交付をうければいい。その前に旅行社へ連絡して、ビザ申請したパスポートと新しいパスポートが違う場合はビザはどうなるかの問い合わせをした。担当者は添乗中で連絡取れない、そこで電話に出た方にこれまでの経緯を話した。

 すると「今ビザ申請中ですよネ」と言うのでハイと答えると、ビザ申請にはパスポートの現物が必要なので申請中ならパスポートはこちらで預っているはずだ言う。
あのときパスポートのコピーと現物を持って行き申請書を書きコピーを渡したと思っていた。どうもパスポート現物を渡したようだ。
記憶に無いけど事務員さんの話を聞くと、パスポートは行方不明(紛失)ではなく旅行社に預けてあるようだ。

 パーマに4500円、写真に1400円掛けてしまった。無駄とは言わないがチョット早まった感は否めない。でもパスポートの所在が判明してヨカッタ~
ハイ、またまた家族から呆れ顔の白い目を向けられています。

写真は西安交通大学の南門、講堂の文字は江沢民さんの書です。

ゴルナグラード

2010年08月11日 09時07分23秒 | ドロミテ・チロル
7月19日(月)
5:15 展望台へー7:00朝食ー8:35ハイキングスタートー9:45 池で逆さマッターホルン
10:42ローデンボーデン駅発ー11:00チェルマット着ー11:16同発ー12:23スタルディン着
12:25 ポストバスー13:00 サースフェー着ー13:40 チェックイン
15:10 街を一周するミニトレイン乗車ー18:30 夕食

 ゴルナグラードのクルムホテルは初めてスイスのガイドブックを開いたとき泊まりたいと思った。サンモリッツで”あとは二人で回って見てきなさい。”とスイス指南役の先輩と別れ氷河急行に乗った。山小屋に電話をしたが繋がらない、チェルマットの日本語ガイドデスクに電話すると、改修中で休業中とのことで泊まれなかった。

 その翌年新装なったホテルに泊まった。ホテル並みになったのでニッポンのツアー客に人気が出たのかその次は満室で泊まれなかった。今年は日曜日だった所為か空き室があり、しかも案内された部屋に入ると窓からマッターホルンの雄姿が飛び込んできて思わず感激の声が出た。
たしか二つ星の山小屋に分類されているが、私たちが旅行中に泊まったホテルの中では一番立派なホテルである。外観は石壁でゴルナグラードの風景に溶け込み落ち着いた雰囲気があり、部屋も高級ホテルクラスとなっている。
料金もそれなりに高く他の小屋やベッド&ブレイクファーストの2~3倍で、今年は三人部屋二食込みで500フランだった。朝日夕日に映えるマッターホルンを部屋から眺め、ワインを傾けてのディナーは旅行期間を通じて唯一贅沢するホテルです。

  クルムホテルはニッポン人ツアー客が多い。私たちが泊まった日も何組かのツアーグループがいた。添乗員が何か話しているのを聴くとも無しに聞いていると「特別に上の天文台で星を見ることができるようにしました。10時にお集まりください。見たい人だけでけっこうです、全員が参加するなら二グループに分けて・・」と説明している。

 天文台は一般開放しているのか。ディナーのときツアー客の星を見る会の話をすると交渉担当が早速フロント行って我々も見れることになった。
10時に最上階の天文台入口に行くとツアー客がおり、添乗員は「私たちは特別に・・・」と意外そうに言う。”フロントで申し込んで10時に集まるように言われました。”と答えるとちょっと不満そう。客の中に英語ペラペラのオバチャンがおり天文員に「あの人たち(私たちのこと)は別グループだから」云々話ている。
ちょっとイヤミのオバチャンだ。

10名までなら入れるからとツアー客が全員入室させ、あなた方は待つようにと天文員は言い残して中に消えた。30分ほどで皆さんが出てきた。「テレビ画面を見せて説明し、外で星の話をし、次に写真で・・・全部英語で話すので・・」と少々当てが外れた感じで私たちに説明してくれた女性がいた。

 私たちは3人だけで中に入る。望遠鏡は月を捉えていてPCの画面に映し出されている。月のアバタがくっきり見えて、「ここが海でこれはクレーター、アポロが着陸したのはこの辺りで・・・」と説明が始まった。次は外で星の説明を始めた、北極星や1等星のことだったので、私はせっかく説明してくださるので理解していることを伝えたくて、夏の大三角形のことを聞いた。”サマー・トライアングル”と何回か繰り返すとようやく分かってくれて別の方角へ連れて行きレーザー光線のペンライトでアルタイル・デネブと示してくれた。

 その後中に入り写真を見せながら星雲の説明があった。ここの望遠鏡で撮影したのだろう星団・星雲の写真が多数ある。私も乏しい知識を一生懸命引っ張り出してこれまた乏しい英語で相槌を打ったり質問した。M51と言うので、こちらもM51と繰り返すと少しは知っているな、という感じになった。そこでオリオンと言うと写真を捲って探し見せた。馬頭星雲の写真を見せたので、バラ星雲というのがあるのを思い出して”ローズ”と何回か言うとようやくバラ星雲と分かってくれた。

 素人向けに観察会を開いてくださっているので、何らかの反応しないと悪いと思って一生懸命なけなしの知識を出した。天文員さんも無反応より良かったのではなかろうか。
ゴルナグラードから見た星空は思い出に残ります。

 翌日は逆さマッターホルンを見にハイキングをした。池がある場所を知らないけど誰かの後を着いていけばいいと適当な人を物色した。昨夜のあのツアーも専門ガイドを雇ってハイキングのようだ。また聞き耳を立てると池のほうへ行くらしい。着かず離れずの状態で後を歩いた。ルートが分かったので追い越して先へ進んだ。

 整備された道で下りなので写真を撮りながら難なく池に着いた。日が上がっているので池は漣が立ちマッターホルンが揺れている。4回目のゴルナグラードで初めてこの池に来た。マッターホルンを眺める名所の一つ、もしくは筆頭に挙げる方もおられるであろうこの池はもっと早く来るべきだったのか。

 マッターホルンは形が美しい、三角に切り立ち先っぽに朝日が当たると神々しささえ感じる。初めて見た時の感動は今でも覚えている。ゴルナグラード鉄道にのるとチラチラ見えはじめて森林帯を抜けると目の前に全貌を現す。雲がもう少し上がってくれればとやきもきしながらカメラを放さなかった。姿形がこれほど良い山は少ない。
いい山です。

 しかし又マッターホルンは飽きがくる山でもある。非常に矛盾しているけど私の実感です。マッターホルンはもういいから下りようと、チェルマットからブリグまで下りて泊まったこともある。
この「飽きがくる」ことはいずれ書こうと思っています。

 逆さマッターホルンを見たのでサースフェーに移動した。

写真はゴルナグラード・クルムホテルの窓から見えたマッターホルン
このブログの表紙にあるマッターホルンはゴルナグラード中腹にあるリッフェルベルグのホテルの窓から見えたものです。