どこ吹く風

旅のことを主に書く。

タイ

2007年08月02日 14時18分50秒 | 懐かしい旅の記録
 もう何年も整理しないで只たんに資料とか自分の記録物を並べていた書架にミニコンポを置く為一段分をビニール袋に放り込んだ。そのビニール袋を机のしたに放りそのままにして約1年、雑多な資料・記録を入れたまま足元で邪魔になっていた。

 それを片付けた。整理をすると殆んどがゴミとして捨てられるものばかりである。一応一つびとつ捲って選り分けた。つまらないモノもあるが迷うものも出てくる、でも思い切って捨てることにした。もう仕事に色気を出すことは無いだろうから仕事関係の資料もこの際捨てることにした。旅した現地から持ち帰ったものやパンフレットは只の記念物になっている。他人にはクズだが手にすると想い出が蘇るものもある。これらも思い切って捨てることにした。

 それらの中に旅のメモやら日程表が出てきた。もう10数年前のものだ。なつかしい、これこそ記録としてアルバムに張る価値がある。せっかく見つけたのでここにも記録しておこう。

 それが先日書いた「バンコク・チェンマイの旅」です。
検索して確かめた結果やはり1993年の4月で、お世話になった方から誘われ費用まで出して貰っての旅行でした。旅行社との打ち合わせを横で聞いていて一人当たり135000円ほどの予算だったと思う。
いろいろありまして顔を出しにくくなってしまっていますが楽しい旅の思い出は今も残っています。本当にありがとうございます。

 このような日程表が出てくるとは夢にも思わなかった、何でもかんでも一応は残しておくものだと痛感しました。せっかくなのでそのタイ旅行も書いてみよう。
一枚の日程表から何処まで思い出せるか・・・

三代あとは無縁墓

2007年08月01日 09時37分27秒 | 能登
 これはオヤジさんの弟、つまり叔父さんの言葉です。
なかなか捌けたというか飄々とした方で、その昔陸軍大学か幼年学校かに合格したら、郷土の誉れだと在郷軍人会などのお祝いを受けた。しかし五校かどこかにも合格してそちらの方を選んだら、帝国陸軍をバカにするなと学校に圧力を掛けて合格を取り消させた。その年は浪人して翌年普通大学に入学したと話されていた。
このような軍のバカ話をもっと詳しく聞いておくべきだった。また叔父さんは子どもに恵まれなかったので養女を取ったが嫁に出すという変わり者でもあった。

 その叔父さんは運輸省を退官して地元の会社に就職を斡旋されたが、仕事もしないのに居心地が悪くて止めたと話していた。謙遜と自分のことに時間を使いたかったのでしょう、きっと。他所の土地へ行くと博物館、郷土資料館や図書館にまず足を運ぶという方であった。その叔父さんが「田舎へ行けば墓は三代も経てば無縁墓になっている。」と自分が歩いた地方のことを話された。
 自分が入る墓もそうなると思っていただろう、この話は義父の葬儀のあとで酒を飲みながら聞いた話です。

 今はその叔父もこの墓に眠っている。これから入るのは叔母さんだけなので我々の世代が居なくなれば無縁墓になる、子供たちが何らかの機会に鹿児島に来た場合はお参りするだろうけど意識的に墓参りするとは考えられない。

私たちが生きている間に永代供養に匹敵するほど”うがん”しておこうか。(笑)