日記帖

飛ぶ鳥のように、渡る風のように、流れる水のように、野に咲く花のように、煌めく星のように。

~白文鳥の歴史 続編~

2023-05-13 09:45:45 | 小鳥

洋鳥巣引の鍵 後編 大塚公道 著 蘆沢日新堂, 大正15 P40
この鳥の作出された所の某氏の談によれば、名古屋から少し田舎へ入った八新田という片田舎で出来たものであってその作出者は誰であるか一向記録にもなく伝説もないという事である。現在でも八新田というところは村の90%は白文鳥を飼養しており(以下略)

飼鳥之将来 山口天洋 著 天洋堂, 昭和2 P39
十姉妹に次いで我が国産の一たる白文鳥如きは、既に徳川時代より輸出され、特に北米及び南米に於いて珍重されて居るのであります。そして愛知県下及び香川県下の一村如きは、白文鳥村と称して宣伝され、全村民ほとんど副業としてこれを飼養し、引き続き輸出しているのであります。(以下略)

小鳥の飼ひ方叢書 第3編 文化生活研究会, 大正15(1926年) P16
然らば此の白文鳥は、どうして出来たかと申しますと、これは白変(Albinism)に依るものでありますが、全身一時に白化した所謂白子ではありません、人為淘汰の結果でありまして、体の一部に白い差毛のある鳥から種を引きまして、代を重ねてだんだんと、白色多い鳥を選抜して、遂に今日見る様な全身白色で覆われた白文鳥をこしらえ上げたということです。(注:現在は突然変異説が主流である)年代はよく分かりませんが、名古屋で出来たということで、その拵えた人というのは、名古屋の住人でありまして海阜某とかいう人だと、私幼少の頃から名古屋で大の仲良しだった鳥屋のお爺さんから聞きました。年代はいつの頃か知りませんし、このお爺さんのいうところもあっているかどうかも判断がつきません。しかし最近これも名古屋の人ですが、青木という古老から聞きましたところによりますと、80年前(注:1846年?)には既に白文鳥がいたということです。(以下略)

白文鳥には、日本のものと台湾のものがあり、遺伝子が異なることが知られています。
文鳥の羽色で学ぶゆる遺伝学 (6) http://kaede-t.com/2019/06/19/buncho-heredity6/
文鳥飼育の一例 http://rara-avis.sakura.ne.jp/
台湾産ブンチョウの羽色の表現型とその活用法 https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2030642109.pdf

さて、私個人の意見としてですが、
資料探しは、海外も含め行うべきです。
詳しくお話しできないのですが、ある事で調べまくっていたら、過去の考察、資料などに誤りを見つけて、一から資料探しを行ったことがありました。

大英博物館に1842年の白文鳥の日本の絵があるのでは、これはもう…。
やはり、江戸後期にはいたと考えるのが自然かと。

この根拠はどこなのか、いつからこういう話しが出てきたのか をハッキリしなければなりません。
>1865年(元治2)尾張藩の武家屋敷に働きに出ていた「八重女」という人が,弥富の又八地区の大島新四郎方に嫁入りしたとき,日ごろ世話をしていた桜文鳥を土産にもらって持参したのが,弥富で文鳥飼育を始めた由来


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