どうもよく分からない。 白文鳥の歴史である。
私が小学生~中学生時代に読んでいた本には、江戸時代となっている。
飼い鳥 鑑賞と飼育 宇田川竜男 著 保育社, 1964 P12
以下引用
白ブンチョウは江戸末期に日本で作り出されたもの
1842年頃に作成された「鳩小禽等図」では、白文鳥が絵に残されている。
https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_1881-1210-0-2520
天保13年 1842年
江戸時代の期間は、1603年3月24日(慶長8年2月12日)~1868年10月23日(慶応4年/明治元年9月8日)
http://rara-avis.sblo.jp/article/85081234.html
白文鳥はいつ誕生したのか?
http://rara-avis.sblo.jp/article/53080100.html
白文鳥はいつ誕生したのか?(2)
http://rara-avis.sblo.jp/article/53091598.html
弥富市のウェブサイトでは、以下のように書いてあります。以下引用
文鳥は東南アジア原産の小鳥で、江戸時代に日本に来たと考えられています。
弥富の文鳥飼育の始まりは、江戸時代の終わりに弥富の又八地区に嫁入りしてきた八重という女性が、
それまで奉公していた名古屋の武家屋敷から桜文鳥をもらってきたことといわれています。
それ以来、弥富では農家の副業として文鳥飼育が続けられてきました。
明治時代には全身が真っ白な白文鳥(はくぶんちょう)が生まれ、全国に広まりました。
https://www.city.yatomi.lg.jp/shisei/kanko/1003974.html
愛知総合教育センターのウェブサイト 以下引用
文鳥はマレー半島やインドネシアに生息している鳥である。
これらの国では野生の黒文鳥(桜文鳥)が住んでいる。
日本には江戸時代中国を経由して入り,武家屋敷で多く飼育愛好されてきた。
1865年(元治2)尾張藩の武家屋敷に働きに出ていた「八重女」という人が,弥富の又八地区の大島新四郎方に嫁入りしたとき,日ごろ世話をしていた桜文鳥を土産にもらって持参したのが,弥富で文鳥飼育を始めた由来である。以来,又八地区を中心に文鳥飼育が農家の副業として盛んになり,明治9年初めに突然変異により,「白文鳥」が誕生し,これを飼育改良した結果現在に至っている。弥富は日本で唯一の白文鳥の特産地である。
https://apec.aichi-c.ed.jp/kyouka/shakai/kyouzai/2018/syakai/owari/owa220.htm
弥富文鳥組合発行のパンフレットからの引用かもしれません。
http://rinonakimushi.blog36.fc2.com/blog-entry-525.htmlによると、2009年8月に同組合は解散している。
白文鳥は、”明治より前に日本で飼育されていた” と考えるのが正しいように思えます。
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